愛猫が旅立ってもう2週間以上が経とうとしています。
凛々しい目で向き合ってくれる彼でした。
もう、いないのは分っていますが、つい家のそこここでふっと彼がいるように感じたたり、階段から降りてくるんじゃないかと感じたりして、まだまだ一緒に居るように感じて暮らしています。
彼が使っていた爪とぎやトイレもそのままにしていて、サッサと片付けるという気持ちにはなれないでいます。
それがあれば、そこにふっと現われそうだからです。
火葬した骨壺も居間で一緒にいます。
友人たちなどは、好意で、
「あまり遺骨などを大事にしてると猫が成仏できなくなるんじゃない?」
などと心配してくれたりします。
私のこの世での思いは猫を悲しませるのかもしれません。
いろんなご意見はあるかもしれませんが、遺骨でもいいから傍にいてほしい思いは変わらない今です。
上記記事火葬の日に、最後に車で向かう途中に一緒に聴いた曲の事を書きました。
マライア・キャリーの「この想い とどいて」と言う曲でした。
彼女のCDを聴いていた時期だったので即座に、その中で一番綺麗な高音の曲を選んだのがそれだったのでした。
だから、寂しくなるとこの曲を聴いています。
何かあの火葬の日の様に助手席にいてくれるように感じることができるからです。
「ペットの猫のことくらいでそんなに落ち込むんじゃない!」
などと思われる方も多いと思います。
当日はこの曲全体のイメージで選曲したのです。
でも、歌詞内容も、曲名も知らなかった。
この曲にこんなに癒されるのだからと後日調べました。
そして失恋した思いの曲だとわかりました。
曲名が「この想い とどいて」だと知りました。
私が曲のイメージだけで選んだ曲が彼への想いそのままだったと知りまた涙しました。
「21年もの長い間、一緒にいてくれてありがとう!生まれ変わってもまた一緒に暮らそうね。」
と、旅立つ前毎日感謝の気持ちを抱きしめて伝えていました。
そんな想いが届いていた・・・、一緒に曲を聴いていてくれていた・・・、とまた涙。
私は一緒に暮らした動物をペットとは呼びたくありません。
飼い主が勝手に愛玩動物にしているようでちょっと違うと思うからです。
命あるお互いが思いやりあう関係です。
私は猫の環境に留意し、猫は彼にできることで癒しを返してくれる。
そうして信頼関係を深めていく唯一無二の関係です。
この曲のお陰で、
「いつでも一緒だよ」
と伝わるように思うことができ、その思いを大切に大切に生きていきます。
こうして想いを書いていくことで気持ちを一つ一つ整理する時間になっています。
読んで下さった方に心より感謝いたします。
ありがとうございました。