それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

美智子前のヨーロッパ押しかけ訪問という「公務」

 

 

 

美智子前の虚栄を満たすための巨額の費用をかけてのヨーロッパ押しかけ訪問という「公務」 - yoshiepen’s journal

以下引用

 

週刊文春』の痛烈な(そしてもっともな)美智子前批判の記事を紹介したけれど、今度は『週刊新潮』のもの(1993年9月9日号)を紹介する。いずれも1993年9月のものである。皇太子(今上陛下)のご成婚の儀が同年6月だった。美貌で才媛、元外交官の皇太子妃より自分が上に行きたい美智子前の劣等感が見え隠れするようである。

 

上記引用

 

で始まる yoshiepen’s journal様の記事。

2021/02/26の記事です。

引用失礼します。

 

 

最近は多数のジャーナリスト、YouTuberさんなどの記事により美智子前の

細部(特にファッション・衣装)まで暴露されていて、平成の間には見たこともなかった(女性週刊誌は殆ど読まなかったので)奇妙奇天烈な帽子やマント、色違いのぼかしドレスなど初めて見る映像をネットで見れるようになって以来驚きの連続です。

 

上記の記事は読ませて頂いてましたが、二年後にこうして再読すると一周回ってこの記事が余計に深読みできるようになっていることに気づきました。

 

先の天皇皇后両陛下のインドネシアご訪問によって皇后陛下が21年間も閉じ込められていた事実が判明し、その間の美智子前の海外訪問を調べてみると以下の図表に行き着いたのです。

 

上記記事の欧州訪問は1993年6月の皇太子御成婚からわずか3か月後に行われています。

 

一般家庭に例えればまだ新婚の若夫婦に舅夫婦が家のことは全て任せて(皇室の場合は神事から天皇の代理公務まで)上記の映像のまま、帽子と花束のセットの写真で歩き三昧だったことが分かります。

 

今でこそ宮内庁のHPからこのような図表などが見れますが、まさか故意に皇后雅子様を閉じ込めて自分達は押し掛け親善訪問をしていた事実は知る由もなかった。

Jkgの手先の記者に書かせた女性週刊誌記事しかなかったのだから。

 

だから上記記事は当時としては相当な思いで書かれたのだろう。

 

しかし、国民の方に受け皿は整っていなかった。

まさか前天皇皇后がこんなことを(海外訪問を本人、特に妻主導で。)

しているなんて思ってもいなかったからです。

 

例え、今上陛下ご夫妻に来た招待状であっても、陛下(当時皇太子)お一人

で出席とか、横取り夫婦に行かせるとか、当時の皇太子妃雅子様の体調が

芳しくないといった中だったとしても、その原因がJK夫妻にあったのだが、

当時それを変だと気づく国民ではなかった。

天皇夫妻の生前退位は健康上の原因とのことだったが、今となってみれば

今上天皇の在位期間を短縮してA宮の方に早く即位させたかったための画策だったと

判明し、今もまだその計画は実行中である。

 

平成の終わりと令和の初めにこの図表はまとめられています。

2019/04/24の日付けとなっています。

 

 

以下引用

 


 

上記引用


そして、こちらは訪問内容が分かる表です。👇

天皇・皇族の外国訪問一覧表

 

 

 

上記一覧表の中に例えば以下のようなものがある。

平成24年 5月16日~5月20日 天皇皇后両陛下英国女王陛下のご招待により、

女王陛下ご即位60周年記念午餐会にご出席のためご訪問」

   
この様な表示にも裏があって、晩餐会は開いてもらえず、せめて午餐会だけでもと英国側に頼みこんで、日本側が費用を負担すると約束して結局払わなかったという事例もあったそうだ。
だから前天皇皇后は英国からは招待されていない。

「インドの招待により、国際親善のためご訪問」などという文言の相手国を
変えれば、「招待」の部分も、前天皇皇后からの押しかけですと捉えることができる。

全部、国際親善のためと銘打った、日本側、ミテコ夫妻の押しかけ観光旅行です。
大儀名分さえあれば衣装も作り放題、帽子と花束のセットでお手振りしながら
ぼんくら天皇の肘を掴んでコントロールしながらのミテミテ旅行でした。

それがタイトルの、
美智子前のヨーロッパ押しかけ訪問という「公務」
と、似たような旅行でした。
随員数十人を引き連れての、国内の公務は全て皇太子に
押しつけて、雅子様を閉じ込めるための動きだったんです。


で、退位した今、訪問した都市、国内外の地図をピンで留めて楽しんでいるそうです。ポーン


30年で何か国?38か国、重複している11回を合計して49回の海外旅行です。
表を数え間違いしていたら申し訳ありません。
数え直して教えて頂きたい。
 
yoshiepen’s journal様の記事を再度読み直したら、私にも前天皇皇后の脳内がはっきり見えてきました。
残念なことに、やっと今頃になってですが・・・。
(実際には小内誠一さんの資料が確かなブログからでした。)
 
だから、これからの一年、二年の間は国民も馬鹿ではないので、今までの時間より
もっと濃く、詳しく過去の”平成4人組”(都庁勤務夫人も含めて5人組とも言う)の行状は明らかとなっていくものと思われます。
 
もう、呆れるばかりの人格の人物たちでした!