神経衰弱をいかが?と言われても要らない。
神経衰弱はいかが❓️ pic.twitter.com/2UeFj7ECta
— はちわれ (@nH4r6Cf0B0LXben) May 19, 2023
膨大な皿帽子、異常!
ここで、何故前皇后と言う人がこんな衣装に税金をつぎ込むという異常な振舞を続けた
のか、と言うより、皇太子妃となってしまったのか、少し時間を戻して考察されている方の
記事をもう一度読ませて頂いた。
2020/02/22の記事でした。
コロナ禍真っ只中で、KK問題のからくりもまだ今程明らかになっていない頃
「彼女たちの危惧が現実になったことを、私たちはその60年後に知ることとなる。」
と、KK問題、A家問題も既にここから始まっていると読まれていた。
『その衣装に費やされた三千億円とも言われる税金にため息が出てしまう。「ノブレス・オブリージ」の片鱗も見えない。』
と、言わせた証拠が、
神経衰弱はいかが❓️
などど遊び道具の様に扱われた上記写真です。
その理由の一つとしてのご意見です。
yoshiepen’s journa
様の記事引用失礼します。
以下一部引用
伊都子妃はなぜ正田美智子の皇室入りに反対したのか
梨本伊都子さんが従姉妹に当たる香淳皇后(昭和天皇皇后)、妹の松平信子さん、その長女で秩父宮妃の勢津子さん、高松宮妃の(徳川)喜久子さん、柳原白蓮氏たちと、美智子前皇后が皇太子妃として皇室に入ることに反対されていたことを、最近知った。Wikiでは「この猛反対は民間人への差別的な意図ではなく、民間で育った女性が突如皇室という特殊な世界に嫁いで、妃としての務めが出来るのかという心配によるものである」との注が付いていた。確かにもっともな危惧である。
彼女たちの危惧が現実になったことを、私たちはその60年後に知ることとなる。「妃としての務めの重さ」、それは「ノブレス・オブリージ」(財産、権力、社会的地位の保持には義務が伴うという意味)ともいえるだろうけれど、それを「旧皇族からの(新)平民へのいじめ」という被虐ストーリーにすり替え、チープなハリウッド・ファッションに身を飾り立て一大芝居を打った(今も打っている)三文女優を、私たちは目撃している。そこに、その衣装に費やされた三千億円とも言われる税金にため息が出てしまう。「ノブレス・オブリージ」の片鱗も見えない。
その虚飾にまみれた、「堕ちた偶像」と際立った対照をなすのが伊都子梨本宮妃である。日露戦争中は看護師資格をとって救護活動に携わり、大東亜戦争(太平洋戦争)中には他の皇族女性たちと看護、慰問に取り組んだことは、その日記に詳細に書かれている。誠心誠意の活動だった点で、どこかの「演技としての自分見せ」の「女優」とは大違いである。文字通り心血を注いで救護活動をされたことが日記に窺える。本当に皇族女性として、尊敬に値する方だったんですね。
梨本伊都子著『三代の天皇と私』
貴重な歴史資料として
伊都子妃の日記は、明治32年から大正を経て昭和51年に渡るまで綴られたもので、それだけでも貴重な歴史資料、文献であり、貴重な参考資料として、しばしばとり挙げられている。晩年には、ご本人がご自分の日記を元にして『三代の天皇と私』(講談社、1975)を上梓されている。日常生活を淡々と綴られているのだけれど、鍋島藩のお姫様から皇族妃、戦後は一平民としてめまぐるしく変わる立場に振り回されながらも、元皇族としての誇りを胸に94歳まで生きられた。その日記は、まさに激動する時代、社会を一女性の視点からから描くという点で、稀有な「歴史書」である。文章も衒いがなく自然体で、文筆家として稀にみる才能といえる。三文女性週刊誌が愛読書である人とはまるで違う。この本には晩年の彼女と昭和天皇、皇后、そして皇太子夫妻が「東久邇宮家」一族として祝っている写真が付いていて、興味深かった。
上記引用
上記お皿帽子とその衣装は永遠にネット上や、写真集として遺る(ってしまう)ことと思います。
しかし、本物の皇族と言う方は、
『その虚飾にまみれた、「堕ちた偶像」と際立った対照をなすのが伊都子梨本宮妃である。日露戦争中は看護師資格をとって救護活動に携わり、大東亜戦争(太平洋戦争)中には他の皇族女性たちと看護、慰問に取り組んだことは、その日記に詳細に書かれている。誠心誠意の活動だった点で、どこかの「演技としての自分見せ」の「女優」とは大違いである。文字通り心血を注いで救護活動をされたことが日記に窺える。本当に皇族女性として、尊敬に値する方だったんですね。』
として歴史に遺るのです。
「堕ちた偶像」
となり果てた前皇后、60年分の写真は「堕ちた偶像」への証拠となってしまいました。
だから、
神経衰弱をいかが?と言われても要らないのです。
伊都子妃は「ノブレス・オブリージ」(財産、権力、社会的地位の保持には義務が伴うという意味)
を生涯を通じて行うことができるかどうかということを見抜いておられて、美智子前皇后が
皇太子妃として皇室に入ることに反対されていたのだと理解に至りました。