以下引用
#愛子天皇論 #皇室典範改正 #上皇后に会計監査 幼い愛子様とボンが遊ぶ映像の動画を観た 愛子様も側にいたが、一度足りとも慈愛の視線をおくることなくボンしかみず 愛子様はおばあ様を見ていたのに… そんなに憎いんですね
2023/06/20の過去記事の中の一部に以下の文章があって気になって調べてみました。
それは「ヒルコ流し」でした。
以下引用
#愛子天皇論 #皇室典範改正 #上皇后に会計監査 幼い愛子様とボンが遊ぶ映像の動画を観た 愛子様も側にいたが、一度足りとも慈愛の視線をおくることなくボンしかみず 愛子様はおばあ様を見ていたのに… そんなに憎いんですね
ただ、平成負債がボッタマに目を向けているのはここまでなんですよね この後、不思議なほどに感心を失っている ヒルコ流しが失敗だと思われたようで。
Hiroko
@gHjVFuSzWdOYxJv
日本神話に由来する話なんですが、和舟にボッタマを乗せ、チャブが櫓を漕いで沖にでる。 すると障害が治るのではないかと考えたんです。 また、その写真tweetしますね。
上記がHIROKOさんと言う方とのやり取りです。
以下引用
『古事記』において国産みの際、イザナキ(伊耶那岐命)とイザナミ(伊耶那美命)との間に生まれた最初の神。しかし、子作りの際に女神であるイザナミから先に男神のイザナキに声をかけた事が原因で不具の子に生まれたため、葦船に入れられオノゴロ島から流されてしまう。次に生まれたアハシマと共に、二神の子の数には入れないと記されている。棄てられた理由について『古事記』ではイザナキ・イザナミ神の言葉として「わが生める子良くあらず」とあるのみで、どういった子であったかは不明[2]。後世の解釈では、水蛭子とあることから水蛭のように手足が異形であったのではないかという推測を生んだ[2]。あるいは、胞状奇胎と呼ばれる形を成さない胎児のことではないかとする医学者もある[3]。
『日本書紀』では「蛭児」と表記される。一書には複数回現れ、イザナギ・イザナミが生んだ最初または2番目の神として『古事記』に似たものもあるが、本文では三貴子(みはしらのうずのみこ)のうちアマテラスとツクヨミの後、スサノオの前に生まれ、三歳になっても脚が立たなかったため、天磐櫲樟船(アメノイワクスフネ。堅固なクスノキで作った船)に乗せて流した、とする。中世以降に起こる蛭子伝説は主にこの日本書紀の説をもとにしている[2]。この「三歳」は日本書紀で最初に年を数えた記述である。
始祖となった男女二柱の神の最初の子が生み損ないになるという神話は世界各地に見られる。特に東南アジアを中心とする洪水型兄妹始祖神話との関連が考えられている。
上記引用
こうしてみると上記の写真はまだボッタマに関心があった頃のことで、
その後は、宮妃に「育て直せ」だのの記事がありましたね。
そして、私も、何故か、ボッタマを抱いた宮妃と退位した夫妻が一隻の
船に乗っている写真を見たことがあって、それも前天皇が櫓を漕いでいたので
単純に弟宮家だけ可愛がっている証拠くらいにしか思いませんでした。
確かに、宮妃がボッタマを抱いて座っていました。
皆さんライフジャケットを付けていたような・・・。
だから今「ヒルコ伝説」のことを知ってバラバラになっていたいろんなことが
一気に一つになったように思います。
平成夫妻(ミテコさんのみかも)が如何に多方面に向かって自分達の目的を達成するために画策し、実行していたかが分かり恐ろしい人達だと思います。
そして、何故ボッタマがあんな不安定に見える和船のようなものに乗っていたのかと
いうことが、ボッタマに囁かれる隠さなければならない身体的なことがあるのだと
表現してしまっているように思えます。
ヒルコ伝説とA宮家の長男の身体的不安と上皇夫妻の思惑が繋げることは
今の皇室の皇統問題の陰の部分、それも基本を揺るがす点なのだと改めて
想像することができました。
和船に乗った3人とボッタマの写真探してみます。
不確定な記事になりましたことお察し下さい。
もしも、写真をお持ちの方がいらしたら連絡頂けると有難いです。
こんなお正月の一枚の写真の中にあらゆる方面のことを考える根っこ
が見て取れるんですね。
愛子様の目が真実を教えて下さったんですね。