”ちょっと休憩 「消えていく 思いやりのかたち」”
真理子さん、リブログ失礼します。
「ゆうべ見た映画」の”ちょっと休憩”のコーナーが好きです。
日々バタバタしてて余裕がない時でも、
「真理子さんのブログ更新されてるかな?暫く訪問してないな~、見に行かなくちゃ。」
と、思うのが「ゆうべ見た映画」なのです。
真理子さんの中にある日常は、私も懐かしく思い起こされる情景なのです。
両親はまだ、着物を日常着ていたり、父が帰宅すると洋服ダンスの前で着替えて
着物を着て、へこ帯をキュっと締める。
母の朝も、まだ私が寝ている部屋で着物に着替え帯をキュっと締める音をさせ、白い割烹着
を着て祖父母も一緒の3世代家族の朝の支度に降りていくのが日課だった。
そんな日常には佐分利信さんや中谷昇さんの姿がすっと重なる。
袂が濡れないように、とかまだ洗面所という概念がない造りの家で台所の流しで洗面していたんじゃないかと記憶を辿る。
3世代とおじさん(父の弟)も一緒に7人での朝食だった。
いつも、ちゃぶ台が二つ並んでいた。
当たり前の風景だったけど、それは私の小学校時代で終わった。
私と姉の中学進学と共に、私達父母と姉妹の4人は電車通学していた場所から
父と姉妹が電車通学、通勤しない場所に移転したのだ。
それからは核家族風な暮らしになったけれど、懐かしい思い出が一杯のそれまでの暮らし
より、新しい暮らしの方に興味が行って佐分利信さんや中谷昇さんがいるような日常は
忘れられていった。
だから、小学生までの3世代家族の暮らしを今頃になって懐かしく、懐かしく思うのだ。
居間の隅に炬燵が切ってあって、よくそこで寝てしまった私は抱きかかえられて2階に運ばていたのを朧気ながら覚えている。
なんか、こんな木綿布団と炬燵の組み合わせのような情景を真理子さんとなら
分かり合えるような気がして「ゆうべ見た映画」がいつも気になっているのです。