”ちょっと休憩「年の瀬いろいろ」”と生家の年末年始。
ジャスミンさんと似たようなことを思い出していたので、
「年の瀬いろいろ」の記事にすごく反応した。
もう、すぐに”コメント”させて頂いた。
以下私の気持ちでした。(コメント)
『懐かしいです!
「朝は 早くから 起きて
家具や 畳まで引っぺ返して 庭に出し
ぱんぱん叩いて 家中の埃を 追い出す」
世代が同じなのかな?
私の実家というより生家も家中総出の大掃除でした。
祖父母、両親、同居の叔父さん、皆で畳まで出したってのは、本当に大掃除でしたね。
だから、今の”大掃除”なんて掃除ですよね。
その上、30日には餅米を蒸かして、祖母が臼に
「熱い、熱い!」
と言って急いで運んで、そのまま手返しに入る、なんて動作と姿が思い出されます。
搗きあがった餅をその場で食べたり、中にアンコを入れてお饅頭(手を合わせたような形)に
して保存する。
そんなお餅で餅箱が一杯になる。
堅くなったお餅を火鉢で焼くと、その匂いも”餅焼き”の匂いで待ち遠しい。
昔は何でも、どこの家も自分の家で作りましたよね。
そして、明治の女は何でもできた。
家事、オールマイティーでしたね。
我が家は餅屋さん(年々廃業して無くなっている)のお餅を、新年だけはお願いする。
手作りなんちゃら言う世の中ですが、明治生まれのおばあちゃんが年がら年中していた
全てのことは、動画に撮っておきたかったくらいの切り盛りの仕方でした。
そのおばあちゃんがよく映画に連れて行ってくれました。
邦画ばかりでしたが、初めての洋画は東京で、何故だか”ヨーロッパの夜”でした。
多分父の好み・・・。
子供には刺激的だったような・・・。
大掃除、懐かしいです。』
上記コメントでした。
”洋画は東京で”というのは地方には洋画館は無かったように記憶していて、
東京で”SKD”というラインダンスが特徴の舞台を観に行ったんだと思います。
(父の好みで、母と小学生の子供連れで・・・・。)
結構あちこちに連れて行ってもらってたようで、旅行が好きというか、気負わないと
いう原点なのかもしれないと最近思います。
デジタル化のスピードの速さや、コロナ禍などのストレス社会で、
妙に昭和の時代の日常を思い出して、確認してしまいます。
「三丁目の夕日」の世界ですね。
毎年、元旦には私は眠いのに起こされて羽織とセットになった着物を着せられて、近くの
海岸に”初日の出を”拝みに連れて行かれてました。
水平線から登る”初日の出”を拝んでいたんですね。
私は父か祖父に抱っこされて手を合わせていたように思います。
その光景ははっきりと記憶に残っていて、”けじめ”のあるお正月を迎えていたことを
家族に感謝しています。
2020年、令和2年も過ぎていきます・・・。
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