初ジム&初日の出の記憶。
2023/01/05、新年初めてのジム行きとなった。
いつもの会員は来てるかな?と駐車場の車を見て予想した。
「うん、あの人とあの人は来ているな・・・。」
なんて感覚で入って行った。
1月5日は、まだ正月休みの企業もあってか昼間の時間帯は普段会わない会員もいた。
会う人毎に新年の挨拶をして、ちょっと正月中のこと等話す。
ある人は、正月気分なんて殆どなくて3日から来ているという。
彼の家族はいつもと変わらないお正月だったらしい。
そうだな、最近のお正月って、昔の様に日の丸の旗を戸口に掲げるわけでもなく、
(昭和の旗日は国旗を掲げるのが当たり前だった。)
新年らしい装いをして子供も大人も着物を着たりしないし、子供が羽子板やバドミントンを
して遊ぶわけでもないし、(この辺、昔のそんな情景を知っている人は少ないだろうな~。)
スーパーは営業してるしで、普段と変わらない。
もっと思い出して言ってしまうと、各戸に獅子舞が訪れたという風景もあった。
(どんだけ昭和の風景なんだ!と突っ込まれそう。(笑))
彼はそんな情景を知っている世代かな?だとするとそんな事を言いたかったのかもしれない。
いや~、無理無理、正月らしさを味わうためには、自分、或いは家族なり友人なりでいつもと
違う正月を演出する必要がある時代なのだ。
”初日の出”を見に行く、とか”初詣”に行くとか、正月の場所に自分を置かなければ正月の風景
には出会えないだろう。
ジムは年中使えるから、出入りした会員の記録を見ると、大晦日だって来ている人はいる。
年越し、新年を迎えるということをどのように捉えるかは個人個人違うからいろんな正月になるんでしょう。
たまたま、私の家族、親戚たちは兎に角顔合わせをして新年会に参加する形を継続しているので、
中身はどうあれ、お互いに、
「2023年、令和5年の初めのけじめ」
はつけることができる。
誰かがそういうことを続けようとしなければ、きっとその時点でそんな集いは消えてしまうだろう。
私が、令和の時代に”昭和の正月風景”を強烈に思い出せるのは、その当時の住民の当たり前の振舞いであり、
祖父母、父母などが餅つきをし、初日の出を拝むために着物を着せ、海岸に連れて行き、手を合わせる習慣を
与えてくれたからだろう。
子供の頃のあの光景は今でも強烈に印象に残っている。
眠いのに、元旦早朝から起こされて、着物を着せられて(これが一番いつもとの違い)近くの海岸
で、既にやってきている大勢の人達と日の出を待った。
(私が見ていたのはこんな初日の出。何の遮蔽物もない駿河湾から静かに上がってきた。)
だからか、こういう行事を経験させてもらったことは今になって思えば感謝に値する。
昭和の正月は誰もがイベントだったのではないかな?
だから、家族、親戚にとっても新年会はイベントで、たぶんずっと続けたいと思っているだろう。
正月らしさは、それなりの各家庭の演出は必要だと思っている。
いつもと同じは楽でいいけど、”新年会”を毎年持てるのは毎年その思い出を作ることができることなのだ。
集合写真をグループLINEに載せたら、みんなからの
「楽しかった!」
の返信が次々に上がった。
ジムでの話がそれてしまったけれど、初日5日からまた、会員の皆様と今年も励まし合って身体つくりが
出来そうです。