ある女官の手記。
こういう手記にはなかなか出会えないので記録しておきたい。
こういう場所に仕える者は見たこと聞いたことをたとえ家族にでも
話してはいけないことだとされている。(ようだ。)
しかし、人の目というものはどこにでもあり、ましてや仕える者があってこその
宮中の生活ということで、それを記録しておきたいという者はいるということなのだと理解した。
以下引用
不思議な文章である。一読しただけでは、何が言いたいかよくわからないからだ。
だがよく読むと、三千子は大正天皇と貞明皇后との仲を疑っていることがわかる。天皇が女官に手を付けたがるのは、必ずしも天皇だけの問題ではない──三千子はこう言っているのだ。
「公表を許されなかった御内儀での御生活は、世上いろいろとあやまり伝えられておりますので、拙き筆をも省みず思い出すままを記して見ました。」
三千子自身も誤解されたように、貞明皇后は嫉妬深い性格であった。そして大正天皇の体調が悪化すると、天皇をさしおいて大きな権力をもつようになり、まるで自分が天皇であるかのごとく振る舞っているように、三千子には見えたのではないか。
「天皇があられたればこそ、皇后になられたのですから」という最後の一文は、貞明皇后は決して自らの力で皇后になったのではないのに、本人はそのことをまるでわかっていないと言っているようにも読み取れよう。
このように、本書には数多くの謎めいた文章が収められている。それらの謎が解かれることは、おそらく永遠にないだろう。
管見の限り、公式の資料だけではわからない宮中という世界の「闇」をこれほどあぶり出した書物はない。そしてそうした「闇」は、いまなお完全に消え去ってはいないのである。
上記引用
「天皇があられたればこそ、皇后になられたのですから」という最後の一文は、貞明皇后は決して自らの力で皇后になったのではないのに、本人はそのことをまるでわかっていないと言っているようにも読み取れよう。
私はこの部分が非常に気になった。
いつの世でも、どんなに高貴な方と言われようが、所詮人間に変わりない。
現状でも、そこを勘違いして偽皇族になってしまっている宮妃やら、引退夫婦やらが
現存している。
「○○があられたればこそ皇后になられた。」
「○○があられたればこそ宮妃になられた。」
そしてこの○○でさえ、”○○天皇家に生まれたればこそ”という部分を
自分の役割りとは何かと考えることができる人でなければならないのだが、
と国民は主権の役割りとして見極めることが必要だと真摯に思う。