通訳をつけない歓談?危機管理の甘い見栄っ張り?
「Real Imperial Story by 輸入食品」を運営されている一ノ瀬さんの動画を引用させて頂きます。
この動画を引用したいとの思いは、A宮さんの英語の内容や発音に対してどうのこうの
と言っているのではなくて、
「通訳をつけないでご歓談なさいました」
とか、
カタカナ英語でも、スピーチしてしまう(却って、聴いている人は分かりにくく、辛い時間となる。
聞き手には大いに迷惑なこととなる。)
ことに対して考察されているところです。
取り敢えず対象となっているタイでのスピーチ動画です。👇
以下内容概要
15:51頃からの部分、その通りです。
言葉が出来ないふりをしている方がメリットがあるときがある。
私できますというより、できませんから通訳を付けますという方がいい。
あるいは、相手の言語もできるけれど、できないという表示をしながらも
きちんとできる場合の方がかっこいい。
彼女の経験としても、”できるけれど、できない態度”によって相手の本音が聞けたことがあったと言う。
迂闊に大して英語ができない人(A宮程度の英語)が「はい、はい」言うのは
国際問題に発展した時に、A宮夫妻が責任をとれないことがあったら、国民
がその尻ぬぐいをすることになる。
たまったものではありませんね。
「通訳をつけないでご歓談なさいました」なんてカッコつけたい気持ちは
わからないでもないが、もし、この程度の英語で海外に向けても「通訳をつけないでご歓談なさいました」
なんて配信されていたら(多分、されていないと思うが)、この夫妻は思慮が浅く危機管理が
ないなと評価されてしまう。(と、いう程度の正しく伝わりにくい英語力だと示唆されている。)
下らない見栄のために通訳をつけないんだったら、ちゃんと通訳をつけて、日本のエネルギー問題や諸問題を
もっと勉強してほしいですね。
以上概要
正しく伝えることが大事だという意見に同感でした。
特に、国を代表する立場にある人ならば、国益に影響するという認識をしっかりともつべきで、
英語ができる出来ないなどという見栄など張っている場合ではなくて、
「通訳をつけないでご歓談なさいました」
なんていう発表などいらない、というご意見だと理解しました。