交通事故犠牲者の遺族の方々を想う。
このところ毎日、全国のどこかで大きな交通事故がおきている。
TVの傍を通ると夫が観ている画面が目に入った。
「事故?どこで?」
と、戻って画面を見直してしまう。
「えっ?昨日の事故とは別の事故?また?」
と言う程次々の感がある。
高齢者の事故、運転経験の長いバス運転手の事故。
今日もまた新学期を迎えた小学生が犠牲になった事故があり、横断歩道を信号青で
渡っていた児童が亡くなった。
運転手は、
「ぼ~っとしていた」
と言っているという。
自分は座席に座ってぼ~っとしていても、アクセルを踏んでいたら「凶器」を動かしている
という意識を持ってもらわねば、武器を持たない歩行者は「凶器」には抗えない。
何人の方々が犠牲になってしまっただろうか。
中には将来、いろんなことが始まる、まだまだ人生にいろんな可能性があっただろう若者
も含まれている。
それが自分だったら・・・。
一瞬にして、自分が生きていないことを理解したとしたらと、現実的でないことを考えて
しまう状況だ。
その場で、地団駄踏んで、地面を叩いて、
「自分は死んだの?もう生きられないの?いやいやもっとやりたいこといっぱいあるんだよ~!」
と、運転手に、その場にいる人に、訴えて回る、回りたい。
「何とか、元に戻してよ~!」
と、叫ぶだろう。
気の緩みだとか、自己過信だとか、健康に気になる点を持っていたとか、そんなことが
ある日常だったら、どうか、運転しないで欲しい。
最悪の事態を想像して欲しい。
最悪の事態を想像して、そうならない状態に自分があるか、自己チェックして、少しでも、
気になる点があったら運転しないで欲しい。
自分は大丈夫なんて保障はどこにもないのです。
自分の弱点を知って、視力が弱いから、雨の日、夜間は運転しないという人もいる。
私も、雨の日の夜間運転は道路が光って見にくいので避ける。
そして、事故を起こした状況を想像する。
怪我人の搬送、警察に報告、事情聴取、現場検証立ち合い、等々。
こんな事態を雨の中だとか、寒い深夜だとかに、突然しなければならなくなったら、
と想像したら、それだけでも、慎重になる。
その上、人身事故だとしたら、自分の精神状態だって普通でいられない。
だから、アクセル踏む時は最悪の事態を想像して踏んで欲しい。
事故後のことだって想像できる。
「やってしまった・・・。もう人を殺してしまったのだから、もう戻らないのだから」
で終わらない。
その後の人生、平然と生きられないでしょう。
生き地獄ですよ。
勿論運転はできないでしょう。
ゆっくり、慎重に、車の便利さを享受しながら生きたいと思えば、自分は世間に対して
運転適格者か胸に手を当てて考えたい。
道路に出れば貰ってしまう事故にも遭遇しかねない。
そういう覚悟も持って運転するしかない。
事故の犠牲者の遺族の方々、関係者、その方々も犠牲者同様だと思います。
生きている方々は、生きなければならない方々はこれから元通りの生活
を築き直すのに長い年月をかけなければならないと思います。
励ます言葉も掛けられないと思います。
無理をなさらないで自然に回復されることに寄り添ってくださる方がおられること
を願っています。