向田邦子さんの記事。
新聞のコラムから引用
省みるという字に「目」があるのは、自分をしっかり見よということなのだろう。元になった金文では、「少」の部分が「生」を意味する部首になっている。生きることや生命に向き合うという字義だと解釈したい
▼戦後、昭和天皇との会話を初代宮内庁長官がメモした「拝謁[はいえつ]記」が公表された。日本の独立回復を祝う1952年の式典を前に「反省するといふ文句ハ入れた方がよいと思ふ」。日本が戦争へと突き進んだことに向き合った昭和天皇の後悔が詳細に記録されている
▼8月は不慮の死について思い巡らす機会が多い。原爆忌や終戦の日のほか、日航ジャンボ機墜落事故(85年)は520人が犠牲になった。きのうは、77人が亡くなった広島土砂災害から5年。交通事故や水の事故も後を絶たない。1カ月たった京都アニメーション放火殺人事件は鎮魂の思いをさらに強くさせる
▼数々のテレビドラマ脚本で昭和を描いた向田邦子さんは45歳で乳がん手術をした。輸血後肝炎を併発して右手が利かなくなり〈あまり長く生きられないのではないか〉と、〈のんきな遺言状〉の気持ちで初めてのエッセー依頼を引き受けた(「父の詫び状」あとがき)
▼〈いったん火をつけると、不意に足許[もと]で小さく火を吹き上げ、思いもかけないところへ飛んでいって爆[は]ぜ…これが私のお盆…〉。死者の記憶をねずみ花火に例えた。死者を思い出すことと自分が生きていることは表裏ということか
▼向田さんは颯爽[さっそう]と昭和を生き、81年8月22日、台湾取材旅行中に飛行機事故で帰らぬ人に。51歳だった。
以上引用
2017/12/27の向田邦子さんの記事。ブログを始めたばかりの頃だ。
「マガジンハウスの中の向田邦子さん」
https://ameblo.jp/kickbell/entry-12339744726.html
時々彼女のことを思い出す、憧れの女性だった。
こうして新聞のコラムでも思い出されることが嬉しかった。
生きてらしたら黒柳徹子さん世代の方で、まだまだいろんな語録が聞けたのではないかと
惜しくてならない。
この以前のブログが不具合を起こして、もう一記事書いてあったのが見ることができなくなっている。
彼女と恋人のカメラマンさんとのことも書かせて頂いた。
だから素敵な写真が、マガジンハウスでは見れる。
8月22日には彼女のことを思い出しているだろう。