それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

「毎回これくらい奇麗にしてます」と協会スタッフ謙遜。

記事引用します。
 サッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会で2大会ぶりに16強入りした日本代表は5日、帰国した。主将のMF長谷部誠(34=アイントラハト・フランクフルト)は記者会見で、ベルギー戦に敗れた日本代表のロッカールームがきれいに清掃され、称賛の声が集まっていることについて「誇りに思う」と話した。

f:id:e-keiko:20180705203557j:plain

日の丸に「すべてのロシア人へ2018年ロシアW杯をありがとう」とロシア語のメッセージを書いて感謝の気持ちを表した日本サポーター

f:id:e-keiko:20180705203601j:plain

涙しながらもゴミを集めるサポーター

 

 長谷部は「日本代表のスタッフは毎試合、ロッカールームをすべてきれいに片づけて、そして帰る」と説明。そして「選手として誇りに思いますし、それだけでなく日本代表のサポーターの方々がスタジアムで試合が終わった後にゴミ拾いをしてくださったりとか、僕は普段、海外に住んでいるので、日本代表でもいろいろな国に行く機会がありますが、日本ほど町がきれいな国はないんじゃないかと思うくらい、日本という場所、人は素晴らしい精神を持っていると思うので、選手としてだけでなく、一人の日本人として誇りに思っています」と話した。

 

 ベルギー戦は、悔しい負けだっただけに、このロッカーの投稿には、日本代表のマナーを称えるコメントが世界中から殺到。「彼らから多くのことを学んだ」「日本人の姿勢は最高だ」「Arigato」などの言葉が並んだ。また、試合後の観客席を清掃する日本サポーターが称賛されていることと併せ、「彼らのチーム、観客の両方が偉大な代表だ」とする書き込みもあった。

 日本サッカー協会(JFA)によると、チームのスタッフが清掃し、メッセージを残していた。
上記記事引用

 

常に奇麗を保つと、それは特別でも何でもなく、常態化して、それ以下のレベルは「普段通り」ではなくなるのだろう。
スタッフさんは「普段通り」を行っただけなのだろう。
でも、その普段のレベルを高く保つことを続けるとレベルを下げた状態は美しくないことに気づく。

 

日本には、静謐な美を感じる精神性があり、茶道や寺社の庭園美などに表れている。
飾り立てていくのではなくて、引き算の美だ。
花瓶にいっぱいに盛られた花より、手水鉢に置かれた一輪の椿の世界だ。

 

静けさが漂う、あのロッカールームの写真に私はそれを感じた。
「メッセージと折鶴」は周囲が静謐だからこその存在感だったのだろう。
まさに、「一輪の椿」そのものだ。

 

日本に居て、どんな時間にも対応して応援した日本国民、海外に帯同したサポーター、みんなの応援が日本代表の選手たちに届いていたんですね。
みんなが一体となって、期待し、喜び、落胆し、悲しみ、立ち上がり、いろんな感情を爆発させて、楽しんだロシア大会でした。
夢のような時間でした。

 

四年後、カタール大会を楽しみに、選手の皆さんの頑張りと成長を期待して、また会いましょう!
ありがとうございました!