「皇族が行った戦後最大のスキャンダル。」と言われること。
証拠が次々に明るみ出ている事実の配信なので、記憶に残しておきたいと思いました。
皇族が悪いことをする想定がない。国民統合の象徴でみんなの模範です。特権を持ったまま勝手気ままに振る舞うのが自由ではない。
12分29秒辺りで篠原氏ははっきり言われている。
「戦後最大のスキャンダルですよ。私がこう言ってますけど、普通なら訴えられまうよ。
でも、事実だからね、証拠があって一橋大学のホームページまで書き換えられているんですよ。」
上記のことの元はA宮家だと。
KK親子だってただの母子家庭で、その親子を振り回してね(了解して受け入れている親子だけど)
フォーダム大だって裏口入学、三菱東京UFJが寄付金ジャンプ、そのキックバッグで奨学金。
専門家(弁護士)も、不正は手続きからやり直すべきだと言っている。
と、いう内容でした。
一般の日本人ができないことが全部できちゃうんですね。
「もう~、やだ!」ワンタイムパスワードのログイン。再来編。
流石!市川ぼたんさん、元内親王の袂との違い。
2022/01/07の記事です。👇
着物の所作が気になった記事です。
2021年の記事です。👇
👇2023年新年の日テレインタビューでの市川ぼたんさん(11歳)の着物姿です。
座った時の袂の納め方が美しい。
これが伝統を学んだ人の着方、振舞い方だと思う。
一方、こちらは元皇族の方の袂の所作。
👇元内親王の着物での袂の納め方にギョッ!
映像にはしっかり残ってしまいますね。
👇ブータンでの時はもっとひどい。ギョギョ!
まだありました。
2015年エルサルバドル、ホンジュラス訪問時の手元の袂。ギョギョギョ!
上記3ショット共、着物を着させられて、周囲の外国人には着物のこと等分かりはしない
と言う意図さえ感じます。
非常に着物にも、訪問先の国にも失礼なことです。
日本を代表しているという自覚があれば、着物を着るのならば着物に敬意を払って
学んでおく必要があるのではないでしょうか?
着物には着物の所作がある。
茶道にしても、立ったり、座ったり、畳の上を歩いたりと、全て所作も修行の内の筈です。
立ってるだけが着物の所作ではありません。
何故宮家の方が、そういうことを学ばなかったのでしょうか?
学べる環境は十分だったとお見受けしますが。
それとも、おつきの方たちは意図的に教えない?
もっと怖いことですね。
また一方で、歌舞伎界の家元の家で育つぼたんさん、11歳にして着物を敬う
素晴らしい振舞いですね。
👇ぼたんさんは前面からの姿も美しい。
流石に日本舞踊名取の修行中のお嬢さん。
この袂の納め方が正解ですね。
動画では、動いている時も所作が美しい。
ぼたんさん11歳。
元内親王の最初の海外訪問は23歳でしょうか?
何かを”背負って立つ”とは、きちんと学ぶことだということがよく分かります。
市川家の教えは流石ですね。
医師から告げられたこと。
いつもお薬を出して頂いている掛かりつけ医院で、診察後医師が話し始めた。
いつもとは違う神妙な感じで始められた。
「実はね、今年3月を目途に、この医院を閉めるつもりなんですよ。
ここは後継者もいないし、僕は今後どこかで診療を始めるというつもりもないんですよ。
健康上の理由というのもあるんだけどね。
だから、患者さんには、”内科診療”という目的の病院宛てにお手紙を書くつもりでいます。
今出しているお薬は2月にも出すし、3月にも出せるかもしれません。」
と、いう内容だった。
「えっ!?」
「え~~~!?」
と、しか言葉が出なかった。
この医院にお世話になり始めたのは、医師が開業医になるのがキッカケだった。
総合病院で勤務医だった医師に”大腸がん”の検査をして頂いたのだ。
消化器科が主に専門の医師だ。
その時、モニターを見ながらゆっくりと説明しながら何の痛みも感じずに検査を受けられた
ことで、信頼できる医師だと直感し、彼がこれから開業するということを知らされたので、
それ以後は各種の検査結果による薬の服用などの指導も頂いて今日に至っている。
その時の大腸がん検査の結果は異常なしで今日まできている。
自治体で勧める健康診断から、年齢により受けられる各種検査なども、どんどん受けられて
本当に、信頼を寄せていた医師なのだ。
少し、胃に異変を感じたりすると、胃カメラの検査など勧められたりする。
そういう場合も、
「検査が遅くなるとお腹が空いてしまうでしょう?だから、開院前に検査してもいいんだけど、
早朝、6時とか7時に来れる?」
と、提案してくれて、正月明けの時期にまだ空が薄暗い中、検査を受けたこともある。
総合病院とは違うシステムでの検査で、相当数の患者さんは長い時間待たされることもなく
検査を済ますことができた筈なのだ。
患者にとっては非常に助かる方法なのです。
だから、
「先生にはいろんな検査を開院前にして頂いて本当に助かりました。
これからもずっと、お世話になれるつもりで安心していました。
コロナワクチン接種の時も、どんどん枠を指定して頂いて、苦労することなく受けられました。
今後が不安になってしまいます。」
と、伝えた。
しかし、医師の意思は固いようで、他医院への(紹介状の)お手紙を書いて下さるということで
受け入れるしかなかった。
最近はワクチン接種の患者さんの数も多かった。
お疲れになってしまったのでしょうか?
そんな中、医院に対する評価の書き込みで気になるものを見たことがあった。
たまたま初診で罹った患者さんがある一言で嫌な思いをしたという評価だった。
まさか、その一件だけで影響を受けた訳ではないと思いたいが、患者と医師の意思疎通が
上手く回らないこともあるだろう。
医師にしても、できる限りの配慮をしてワクチン接種に貢献されていた時期に、もしもそんな書き込み
を見たりしたら、落ち込まれてしまうかもしれないと、私は心配していた。
真の閉院の理由は分からない。
しかし、上記述べたように、本当に、地域の患者に貢献されている医院が閉鎖などということは
残念で堪らない。
地域にとって大きな損失だと思う。
信頼できる”掛かりつけ医師”を失うことになる。
あと、何回かは診察を受けることになるだろうが、その間には次の”掛かりつけ医師”
を探さなければならないことになった。
まだ、50代であろうお若い専門医がこれからも活躍される日を願って止まない。
役目を終えた正月飾りはどうすればいい?
👇こんな記事に出会えました。
私も、毎年思うところです。
以下引用
お正月には独特の風習も多く、「こういうとき、どう対応したらいいの?」「どう過ごしたらいいの?」
と疑問を持つ人も多いのではないでしょうか。
その一つが、お正月飾りをはじめ役目を終えたお札や破魔矢などを、神社などでおたき上げする、どんど焼き。
だけど「近くでどんど焼きをしているところがない!」「どんど焼きに行けない…」という場合は
どうしたらいいのでしょうか?
そこで、令和の時代に合った、無理がなくて心も満たされる、年始の風習新常識を教わりました!
塩やお酒を少しかけて清め、自治体のルールに従って処分してもOK
正月飾りは松の内が明ける前の1月6日の夜に外し、神社などで1月15日前後に行われるどんど焼きで焼いてもらいます。
燃やしたときの煙とともに年神様が再び天に戻るとされています。
どんど焼きに行けない場合は、自治体のルールに従って処分するのもいいと思います。
その際には、少しの塩やお酒で正月飾りなどを清めてからゴミ袋に入れましょう。
粗末に扱わずに、感謝の気持ちさえ忘れなければ、おたき上げができなくても大丈夫です。
ただし、何年も前のものを家に放置しておくのはNG。
正月飾りや破魔矢、お守り、お札などは、1年の有効期限があります。
何年も前のものを取っておいても、本来の意味はありません。
上記引用
私が子供の頃は、地域的なこともあって、「どんど焼き」というものがあったので、その経験はありますが、
今の地域ではそんなことはありません。
「どんど焼き」の時、同時に長い棒にお餅をつけて焼いてもらったものを食べさせてもらうのも
楽しみだったように思います。
近くの海岸が「どんど焼き」の場所でした。
まだ、焚火なども禁止されていない時代でした。
「○○神社でのお焚き上げ」のような情報はありますが、行ってられる日でなければ、何らかの方法で処分するしかありません。
少しの塩やお酒で正月飾りなどを清めてからゴミ袋に入れましょう。
粗末に扱わずに、感謝の気持ちさえ忘れなければ、おたき上げができなくても大丈夫です。
と、書かれていますが、私はそこまで丁寧にしなかったけれど、気持ちを込めて紙に包んで処分しました。
昨年一年お守りしてくれたお札や破魔矢などは初詣の時、神社のお焚き上げの収容箱に納めてきました。
そして、お飾りを、
「燃やしたときの煙とともに年神様が再び天に戻るとされています。」
と、書かれています。
私は子供の頃そんな炎を見ていたのだなと、記憶を辿りました。
正月行事として貴重な体験をさせてもらっていたのだと、感謝に堪えません。
子供の頃は当たり前だとしていた正月行事も、時代と共にどんどん変わっていき、
行事そのものが無くなっていきます。
それでも、できることは、やはり生活のメリハリをつけるという姿勢で臨みたいと思います。
「正月飾りは松の内が明ける前の1月6日の夜に外し」、と言うこともしっかり覚えておくことにします。
そして、これも、
「正月飾りや破魔矢、お守り、お札などは、1年の有効期限があります。
何年も前のものを取っておいても、本来の意味はありません。」
と、いうことも(何年も使いまわすお宅も見るので)記憶しておきたいです。
同じ枕で寝る猫。
我が家の猫さんの話です。
最近は、写真でも、動画でも、ネット上には本当に猫さん関連のものが多く出回っている。
どこの猫さんを見てもみんな幸せそうなら嬉しい。
猫さんと人間の関係がどんどん良くなっている様子は見る者の気持ちを幸せにしてくれる。
最近は動物福祉にも関心を持たれる時代になった。
そういう考えで「ペットショップ廃止」に向かう国も増えている。
動物を物として扱わない世界がどんどん広がって欲しい。
我が家の猫さんは、毎晩、寝入る前は私の胸の上に乗ってくるので、マッサージしたり、
お話(こちらから一方的にですが。(笑))したりして暫く時間を過ごす。
彼は喉をゴロゴロならし、ペタッと私の上で寝込む形になる。
彼の顔は近付き、ひげが触ってくすぐったいし、鼻息までしっかり伝わってくる。
そんなことに満足?すると私の枕の横の狭いスペースに陣取って寝る態勢を取る。
「ちょっと窮屈だな~、でもそこがいいならまっいいか。」
と、私が少し位置を譲り、寒くないように猫専用の毛布を掛けてあげる。
気付くと、彼の顔が真横にあったりする。(笑)
可愛い、可愛い、OK、OK。(笑)
私が寝入った夜中にはトイレに行ったり、まだ残っている餌を食べたりしているようだ。
そうして、朝私が目覚めると、何と私の枕の隅っこに頭を載せて眠っている。
枕を共有しているような形なのだ。
当然、顔だけ出して一人と一匹が並んで掛布団をかけて寝ているような恰好なのだ。
その姿につい笑ってしまう。(* ´艸`)クスクス
わたしの気持ちとしては、そんな態勢で端から寝たいと思っていたのだが、猫は結構
強制されるのは嫌がるものだ。
だから、どこででも寝たいように寝ればいいと、猫のしたいようにしている。
一緒に寝ていれば、いつでも猫の身体を触っていられるし(これが幸せ)、毛布がずれてしまったら
かけ直してあげられるので、成るべく近くで寝ていてほしいとは思っているが。
しかし、朝になってみれば、私の枕に頭を載せて一緒に寝ているなんて、理想じゃん!なんて
喜んでいる自分がいるのだ。
高齢になって、一日中私のベッドを自分の場所だと決めて、私がご機嫌伺いに行く時以外は
ずっと毛布を掛けてそこで眠っている日常になっている。
トイレ、食事、水分補給以外はずっと私のベッドを占拠している。
それでいいのだ、好きな場所で、安心して安定した気持ちで過ごしてくれればそれでいい。
夜は私と寝る。
私も近くで寝てくれるのは安心だ。
それにしても・・・・、枕に頭を載せて、ちょっと頭を高くして寝るのが好みなのか、
結果的に私と並んで寝ているなんて、最高に幸せ!と思ってしまいました。
暖かくなる春まで、それからもずっと、長生きしてね、といつも願っている。
先ずは、21歳を目指そうね!