それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

美智子前と秋篠宮夫妻、そしてカワタツによる皇統簒奪計画の原点はどこにあるか?

 Yoshiepen's journal様の記事引用失礼します。

 

2年前の記事ですが、いつもモヤモヤしていた問題の原点について書かれているので引用させて頂きました。

 

2021/06/23の記事より。👇

 

 

この記事の中で紹介されている当時の国会答弁の記録がある。

現在の国会議員にはない答弁に驚くとともに、これこそが国民の代表としての声を上げる国会議員の姿だと思う。

 

以下引用

「新平民」証言—昭和34年の第31回国会答弁より

第31回国会(昭和34年2月6日開催)

061・菊池義郎議員の質問

菊池委員 

宮内庁長官にお尋ねいたしますが、この皇太子殿下の御成婚につきまして諸説ふんぷんとして、国民はいろいろの誤解を抱いておるのでございます。私は、皇太子が平民の娘をそのきさきとして選ばれたことを非常に喜んでおります。平民であろうが新平民であろうが、粉屋の娘であろうが何であろうが差しつかえないと私は考えておるのであります。こういう点において、私は欣快にたえないと考えておりますが、その婚約の過程においていろいろの謀略策略が行われておるということが、最近の週刊雑誌やその他の刷りものにおいて世間に流布され、これによって国民が非常な疑惑を抱いて、国民の頭は割り切れないような感じになっておるのであります。この際それが事実であるかいなかを長官から明確に発表されて、そうして流説の真偽を明らかにして下さるならば、国民は晴れやかな気持になり得ると思うのであります。私はもう時間がございませんので、端的にせんじ詰めて要点々々だけ申し上げますから、長官も簡単にお答えを願いたい。
 まず第一にお伺いしたいのは、この婚約の前に、美智子嬢は二十五人の見合いをしておられた。そして最後に波多野という青年と婚約、これを破棄して皇太子の方に振りかえたというようなことが流布されております。週刊雑誌に出ておりますが、これは事実でありましょうかどうか。

 

この菊池委員の質問から、美智子前が「新平民」=被差別部落の出身であることが当時の議員たちの間では共通の認識であったことがわかる。加えて、結婚前の美智子嬢の行状がかなりあからさまに暴露されている。

 

以上。

 

 

そして以下の様に始まる文章には引き込まれる。

 

以下引用

 

今や女帝として皇室に君臨する美智子前の自身の子息である徳仁今上天皇陛下ご一家、とくに雅子さまに対する執拗な、異常なまでのいじめ、さらには秋篠宮に皇統を移そうとする計略、それらの原点は、美智子前の皇室、特に昭和天皇香淳皇后へのマグマのような恨みにあるのではないだろうか。入江相政侍従長の日記の一部を読んだだけでも、美智子(当時の東宮妃)の屈折した心理が窺い知れたように思う。では、その怨念を形成したものはなんだったのか?

入江氏の日記でわかったのは、当時の宮内庁天皇、皇后両陛下に近く接する侍従たちのほとんどが(旧)皇族、(元)華族で占められていたことである。当然ながらそこに新平民である美智子前が馴染むのは難しかったと想像される。

 

以上。

 

引用文のようにして書かれた記事を再度今になって読ませて頂くと当時のミテコの心情がよく分かりあのカップルは現在夫婦仲がよい二人に見えるけれど、どちらもお互いを利用しただけの関係であって、表面上だけで60年も国民を騙していた存在ではなかったかと思えてくる。ムキー

 

 

最後に参考資料として「DAM DAM DAM」さんのサイト(October 30, 2013)を引用させていただく。非常に首肯できるし、興味深い。

 

と、書かれていて正田家に付いて本当に興味深いことが書かれているので紹介させて頂きます。

 

 

 

 

 

今この原点からA宮家の長男のトンボ論文などに注目が集まってしまっているが、それだってこの原点あればこそ。

皇室、宮内庁、政府はどこで間違ってしまったのか検証して、正すべき時期だと思います。

 

 

👆この写真にもまんまと国民は騙されてました。

左の長身の女性こそ、A宮の生みの母ではないかとの噂の安西氏の妻であり、ミテコの妹の恵美子氏。

長身ですね。

今上陛下と体格が似ていない弟は天皇家にはない長身ですね。

 

DNA鑑定で、

明仁済み→徳仁済み→文仁拒否→悠仁未定。

さぁ、文仁次第では天皇家と一致しない場合

悠仁までの皇統にはたどり着けないですね。   

 

以上です。