セイロン島のジャワルダナ大統領。 日本を窮地から救った人。
戦争末期 ワシントンで日本四分割
— 369不動 (@N4er5BANKPkQFQe) December 9, 2023
が討議されこの様な統治案が
され 東京は4カ国同時 統治計画
がされていたが これに 意を唱えたのが
セイロン島 現在のスリランカ🇱🇰
ジャワルダナ大統領で歴史に残る
名演説で各国からの絶賛を 浴び 日本を窮地から 救った人物です
日本は既に… pic.twitter.com/InqHsN13th
以下引用
戦争末期 ワシントンで日本四分割 が討議されこの様な統治案が され 東京は4カ国同時 統治計画 がされていたが これに 意を唱えたのが セイロン島 現在のスリランカジャワルダナ大統領で歴史に残る 名演説で各国からの絶賛を 浴び 日本を窮地から 救った人物です 日本は既に 多くの代償を払っている これ以上の賠償請求を放棄する 必要が有ると 主張し その先に光を齎しのが セイロン島 大統領 ジャワルダナ氏その人です
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ(1906年9月17日 - 1996年11月1日)は、スリランカの第2代大統領。英国統治下のセイロンで頭角を現し、独立後は内閣で要職を務め、議院内閣制下の1977年から1978年まで首相を、大統領制移行後は1978年から1989年にかけ大統領を務めた。
日本との関係[編集]
ジャヤワルダナが日本と初めて接点を持ったのは1921年3月、当時皇太子であった昭和天皇を乗せた戦艦香取がヨーロッパ遠征の途中でスリランカに寄港したときだった。当時15歳だったジャヤワルダナ少年は人々と一緒に皇太子のお召艦を一目見ようと港に向かったというエピソードを1979年の訪日時に語っている[1]。
1951年9月6日、セイロン代表の蔵相としてサンフランシスコで開催されたサンフランシスコ講和会議において以下の演説をおこない、「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む(英語: Hatred ceases not by hatred, But by love.)」という法句経の一節[2]を引用して、日本に対する戦時賠償請求を放棄する演説を行った[3][4]。
アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか。それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、また、植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、日本に対して抱いている深い尊敬のゆえである。往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。私は前大戦中のいろいろな出来事を思い出せるが、当時、アジア共栄のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである— J・R・ジャヤワルダナ、1951年9月6日[4]
また、閣僚・首相・大統領としてたびたび訪日、昭和天皇との会見も2回以上行われている[5]。さらに政界引退後も日本を訪れている。また日本の仏教関係者をスリランカに招待するなど日本とスリランカの交流に尽力した。1989年、昭和天皇の大喪の礼に本人の希望により夫人とともにプレマダーサ大統領に代わって参列。既に肩書きは「前大統領」だったが、元首級参列者・大統領同格の国賓として接遇された。1991年には日本の仏教関係者の招待で広島市を訪れ、広島平和記念資料館を見学している。1996年、死去に際し献眼、角膜提供。「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」との遺言通り、左目の角膜は長野県の女性に移植された[6]。
上記引用
突然、上記Xに出会った。
日本が太平洋戦争に参戦した事実、昭和20年の終戦の事実は、書籍、映画、TVなど
あらゆる媒体によって知られている。
しかし、この戦争末期 ワシントンで日本四分割 が討議されたということは初めて知ったことです。
信じていいのか未だに分かりません。
しかし、
「1951年9月6日、セイロン代表の蔵相としてサンフランシスコで開催されたサンフランシスコ講和会議において以下の演説をおこない、「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む(英語: Hatred ceases not by hatred, But by love.)」という法句経の一節[2]を引用して、日本に対する戦時賠償請求を放棄する演説を行った」
これは事実なのだから信じていいのでしょう。
サンフランシスコ講和会議というものがあったことは学校で世界史の時間に
学習したと思います。
しかし、この日本4分割統治計画のことなど、学校の授業で掠ったこともないことでした。
何故なのか?
これが文科省(当時は文部省?)の検定をパスした教科書内容であって国の方針だったということですね。
これが実行されていたら自分は、或いはまだ出生前で両親の住んでいた場所から自分は、どこの国の統治下になっていたのだろう?と不安を覚える方々は多いと思う。
以下はコメント欄での反応引用です。
①
神ですね 4カ国分割占領、、、、すげぇ今とはまるで違う未来なのでしょうね 日本語が残るかも怪しいですね
②
日本ではあまり知られていませんよね。私も知りませんでした
ジャワルダナ大統領に感謝ですね
③
知らなかった。日本人はスリランカに足を向けて寝られませんね。
④
有難いお話ですね。有り難う御座います。今ある日本はスリランカ大統領のおかげでも有るのですね。本当に感謝致します。
⑤
因みに当時の中国国民党の蒋介石も分割占領と天皇制廃止には消極的でカイロ会談で中華民国が日本に進駐する考えに拒否を表明した結果、ソ連の北海道進駐を阻止するキッカケにも繋がった様です。
上記のようなコメントがありました。
学校では教えていなかったということですね。
物凄く大事なことなのに・・・。
本当に、日本語が残っていたかも怪しいことです。
これが敗戦という意味ですね。
ジャワルダナ大統領に感謝ですね、は当然ですが、この方のこの演説だけで4分割が
避けられたという単純なものでもないとも思います。
しかし、この演説がそれを踏みとどまらせたというのも事実でしょう。
私もこのことはしっかりと記憶しておきたいと思います。
が、引っかかるのは何故学校ではこんな大切なことを教えなかったのでしょうか?
ということです。