それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

福井県勝山市の子供たちとトンボ、と「日本学生科学賞」。本当にふさわしいのは誰なのか。

 

エトセトラ様の記事引用失礼します。

 

 

 

 

以下引用

 

年が明け、ついに2023年になった。秋篠宮家の長男・悠仁さまは今年、いよいよ「勝負の年」といわれる高校2年生だ。まずは今年、トンボの研究で「日本学生科学賞」などの大きな賞を獲得するのではと注目を集めているが、それに「ちょっと待った」を唱える人がいることがわかった。

 

 

1ヶ月ほど前、こちらにて『悠仁さまが家庭教師と論文で東大か京大に合格するなら… トンボ研究報道にある県民から不安の声』というインタビュー記事を投稿したが、その件に関して大阪府1名、福井県1名の方からメールを頂戴した。うち1名は教育関係者の方だった。

トンボ研究で少年少女が賞を受けるとしたら、本当にふさわしいのは誰なのか。秋篠宮さまも勝山市で起きた “赤とんぼ先生教え子殺人事件” やその後の事情はおそらくおわかりなのだろうが、それでも悠仁さまに「トンボを題材に賞を狙いなさい」とおっしゃっているのだろうか。

ここから先、文章の所々にそんな皆さんからのメールを網掛けでご紹介していきたいと思う。

 

優秀な昆虫の研究者たちが、あれこれとお膳立てをしているのではないかと噂される悠仁さまのトンボ研究。前園氏から同じように指導を受けたであろう悠仁さまがトンボ研究で何か大きな賞を獲るなど、道義的にどうなのだろう。メールを読み進めていくほど、おっしゃっていることは「言いがかり」などではない、「怒り」なのだとはっきりとわかった。

 

上記引用

 

 

【以下寄せられたメールの引用】

 

勝山市の大勢の小学生たちが、日々熱心にトンボを追いかけ、観察や調査を行っていたという福井県勝山市。“赤とんぼ先生教え子殺人事件” の後、山岸正裕市長が「環境教育をやめることは考えていない」と継続の方針を表明したため、新しい指導者の下、トンボの生態調査は静かに続いていると筆者は想像していたが、そうではないという。

 

多くの小学生と多くの市民の協力で行われていた赤トンボ調査ですが、事件後はいきなり消沈し、子どもたちは置いてきぼりになりました。身勝手な大人が恐ろしい事件を起こしたことで、勝山の子供たちは熱心に打ち込んでいたことを突然取り上げられてしまったわけです。悠仁さまのたった2泊3日のご旅行とは、わけが違うんです。保護者や教育関係者も、怒りをどこにぶつたらいいのかわからない状態でした。

 

勝山市の小学生たちは頻繁に前園氏の指導を受け、トンボで大発見をした菅原みわさんはヒーローですから、誰もが尊敬の眼差しで見ていました。そんな中で殺人事件が起き、子供たちは非常に強いショックを受けたんです。恐怖からトラウマになる子もいて、保護者の皆さんも大変だったと思います。

 

秋篠宮さまご一家は勝山で、前園氏とともに湿原を訪れたと思いますが、そこも草だらけにならないよう、地元の子供達とその保護者がセイタカアワダチソウなどを刈り取って管理してきたんです。勝山の子供たちの努力があって、あの湿原があるんです。ちょっとご旅行で訪れたくらいで研究論文を書いて何かを受賞とか、そんなこと許されますか…?

 

悠仁さまと同様に、勝山市の子供たちも前園氏からトンボ調査の楽しさを教わりました。ところが2015年の事件のせいで、勝山の子供たちはすっかり置き去りにされたんです。今は高校生かそのちょっと上ですから、まさに悠仁さまと同じくらいの年齢なんです。トンボ、トンボって度々アピールの報道を目にしますが、秋篠宮さまや紀子さまには、勝山市の子どもたちが負った心の傷を察していただきたいものです。

 

 

トンボの調査にあたっていた多くの子どもたちの、本当にきらきらとした眼差しを忘れるわけには行きません。前園氏に対しては、そんな子供たちを裏切り、彼らの頑張りを踏みにじったことが何より許せないんです。秋篠宮さまご夫妻は、勝山の子供たちを無視してこの先もトンボ、トンボで突っ走ることに何ら疑問を感じないんでしょうか。

 

赤トンボプロジェクト4年目の2014年8月、前園さんはご自身の主要な研究について成果発表を行いました。「アキアカネが平地から山地への移動することの直接的証明」というもので、新たな発見があったことの報告でした。でもこれ、殺害された菅原みわさんの研究のテーマとそっくりですよね。

 

私は前園さんが2013年に発表された赤トンボプロジェクトの報告書24枚を読んだことがあります。そこには勝山の子どもたちが行った赤トンボ調査やアンケートとその結果が記載されていて、それらは前園さんの研究にも役立てられる旨が付記されていました。

 

前園さんは東邦大学非常勤講師だった2012年11月、文部科学省、日本ユネスコ国内委員会が開催した『ESDの10年・地球市民会議2012』のテーマ会議において、生物多様性とESDのワークショップにも出席し『里山における生物多様性』を発表しています。そして2014年9月には「勝山市特別功労賞」をもらっています。

 

かつては前園さんも教育者としての熱意や真摯な姿勢が伺えましたが、結果として無邪気で一生懸命な子どもたちに行わせた調査を踏み台に、研究者としての自身の地位を確固たるものにしただけかもしれません。夢や希望を取り上げられてしまった勝山の子どもたちと保護者の皆さん、そして各小学校の教職員に一言くらい何かあっても良いのではと思いますが。

 

 

研究者って承認欲求が強い人が多いんです。悠仁さまのお名前であっても世の中に自分を評価してもらい、秋篠宮さまご夫妻に喜んでもらえれば…ということはあるでしょう。ただ本物の心を持った教育者、研究者さんなら、赤トンボ調査が突然終わってしまった勝山市の子供たちにこそ、その後も自然環境や自然保護に関わる知見を示してあげてほしいのです。

 

 

 

【エトセトラ様のまとめ】

 

福井県の方は、「子供たちが頑張って続けていたトンボの生態調査は、悠仁さまのたった2泊3日のご旅行とはわけが違うんです。教育関係者や保護者はいまだ複雑な感情を抱いています」とメールにつづっておられた。

その少年少女が悠仁さまと同年代だという事実も無視するわけにはいかない。事件さえなければ勝山市ではずっとトンボの生態調査が続き、少年少女はその研究論文で「日本学生科学賞」のような大きな賞を獲得していたと思うからだ。

悠仁さまにトンボについて指導し、調査に付き添い、優れた論文を仕上げるためのお手伝いをされている研究者の方々には、勝山市の少年少女や大人たちが味わっておられる悔しい気持ちを、是非とも心にとどめておいていただきたいものだ。

 

172件のコメント欄より1件引用

 

何故日本の皇室な我が煩悩のままに生きる一家が存在する事になったのかと 今回の配信内容には胸が詰まり 切なさと悔しさが入り交じり涙で文字が 読めなくなりました 何不自由ない生活を約束され 何故こうまで次々と欲しいものを 手に入れるために善悪見境ない行動ができるのかと 嫌悪感を通り過ぎ恐怖を感じます。

 

上記引用

 

他多数どうぞ読んで頂きたい。

 

 

 

私は2023年11月に発表された悠仁さんが筆頭としての論文を知った時、2015年の“赤とんぼ先生教え子殺人事件”との関連がすぐに頭をかすめた。

A宮が赤とんぼ先生を息子の論文の先生として計画していることは分っていたが殺人事件に発展してしまったことで、その後の展開を注視していたものだ。

 

そしてエトセトラ様のこの記事は2023/01/02のものでした。

その頃からこういう事態を危惧されていたものが、2023年11月には

、そんなことはシレッと忘れたかのように他の優秀な昆虫研究者との共著となって

発表された。

 

論文の中身などより、福井の勝山市のトンボの調査をしていた悠仁さんと同学年くらいの小学生たちのことはどうなったんだろう?と気になった。

 

こうしてエトセトラ様の賞を受けるのに”本当にふさわしいのは誰なのか”という

記事に、やはりそこが一番気になる点だったので納得した次第です。

 

まとめに書かれている部分、

悠仁さまにトンボについて指導し、調査に付き添い、優れた論文を仕上げるためのお手伝いをされている研究者の方々には、勝山市の少年少女や大人たちが味わっておられる悔しい気持ちを、是非とも心にとどめておいていただきたいものだ。」

と、言うことに大いに賛成しています。

 

もっとも、そういう研究者を息子の論文のためにお手伝いさせることを当然のことのように特権を使い動かしているA宮の行為と考え方が、賞取りの不自然さを生む原因

だということは非難されるべきことなのだと言わなければならないが。

 

そして、もっと非難されるべきは17歳、来年は成人になろうとしている本人の意志が全く見えないことなのだ。

悠仁君、君はどうしたい?」と。

 

本当に調査していたのか、トンボと遊んでいただけなのかは知らないが、自分より実際に長く、興味を持って調査していた同学年くらいの子供達を見ていたにも拘らず、

何か優秀とされる研究者に手伝ってもらい共著などと名前を並べられることを不思議に思わない、むしろ当然と思って発表に躊躇しない人物になっていることに驚くのだ。

「これって、自分の研究じゃなくなるよね?こんなことしていいの?」

と、親に言えないのか。

親に指図されたとしても、それの善悪を判断できないのか?

そうだとしたら、世間の17歳としてはあまりにもかけ離れた未熟な発達具合ではないだろうか?

 

見えてくるのは「日本学生科学賞」ではなく、A宮家全体の人間性の未熟さだけなのだ。

58歳児を筆頭として欲しいものを手に入れる駄々をこねる方法しか身に付けてこなかった生き方が露呈されている。

 

 

それに比べて勝山市の子供達だった成長した青年たちはどれほど多くのことを学んだことだろうと、彼等の未来を応援したいものだ。