紀子さん、訳の解らぬ日本語。
「エトセトラ・ジャパン」様記事引用失礼します。
記事内容に圧倒され記録させて頂きます。
いろんなことがすっきりと解明されます。
先ずは、
上記記事の中で懸念される、
「悠仁さまの国語力、親がこれじゃあ… 余計なひと言が多いパパにママの婚約会見は日本語がめちゃくちゃ」
という動画でそれを証明するような動画がこれ。👇
内容引用
「わたくしは約4年間にわたり、礼宮さまとお親しくさせておりました。」
「また、てん、あの…天皇両陛下、東宮殿下、それから紀宮さま…が、明るいなかにも、責任のあるお立場をおじ、じか…お自覚なり、またご生活なさっていらっしゃるお姿を拝見させていただきました。」
「で…この、あの…、このようなお姿を見…、あの、わたくしは拝見させていただきまして、えっと…。大変ありがたく、また、誠に心強いことでございました。」
(すべて原文のまま)
■まとめ
国語の成績は社会科の理解力を大きく左右し、この二科目がふるわなければ東大合格などあり得ない。しかも、残されているのはあと2年ちょっと。悠仁さまは、ひょっとしたら「ツクフなんて最初から無理だったんだ。入学は僕が望んだことじゃない」と叫びたいのかもしれない。
だが、ここを忘れないでいただきたい。悠仁さま(と中学時代のご学友も?)のご入学で、本来入学できたはずのお子さんが不合格になっている。苦しい状況ではあろうが、その事実をしっかりと背負い、日々勉学にいそしんでいただきたいものだ。
■母親は超ぶりっこの裏声使い
続いて紀子さまの動画をあれこれ探してみた。イベントのご挨拶やお言葉ではない、もっと人となりがわかるような動画はないものかと探してみたところ、1989年の婚約会見の動画をYouTubeに見つけた。
そこには全てを裏声で話す超ぶりっこ、いや失礼、清楚そのものの紀子さまの若き日のお姿があった。しかし紀子さまは、長いこと米ペンシルベニア州で英語を話しながら過ごされたという。英語は「地声」でしっかりと発声する言語で、なぜそんな声の出し方を…と不思議でならなかった。
近年、紀子さまが宮内庁職員に早口で厳しい叱責をするとの情報もあり、婚約会見の楚々とした雰囲気は、単純に自身を純情可憐に見せるための演技だったのか。とはいえ、ぶりっこの賞味期限は驚くほど早い。紀子さまの笑顔にノックアウトされたという熱狂的なファンは、今どれほど残っているのだろう。
ちなみに雅子さまは婚約会見の際、メディアの質問に「地声」で受け答えをされていた。いずれ一国の君主となる男性を支える立場になるのだ。緊張しながらも落ち着いた表情を心掛け、しっかりとお話をされる様子がとても印象的だった。
上記引用
そして、本題はこちら👇
以下引用
◆紀子さまはなぜそのような時代に韓国旅行を…?
こちらは1984年、大学一年生の夏休みに韓国を旅行されたという紀子さまのお写真。筆者が愛読してきたブログ『yoshiepen’s journal』さんの2020年11月の記事からお借りしてみた1枚だ。紙袋の文字からも、日本ではなさそうだ。
この写真に「なぜ韓国へ?」という声が絶えないのは、当時そちらでは非常に反日感情が強く、観光旅行にでかける日本の若い女性など、まずいなかったためだ。
とにかく泣かせるドラマにより韓流の一大ブームが訪れ、韓国旅行が大人気となったのはもっとずっと後。韓国の人々も、海外旅行を自由に楽しめるようになったのは1989年からだった。
さらに、川嶋辰彦氏と大変親しかった明瀬氏が「韓国人の日本および日本人に対する不信感は想像を絶するものがある」と、ブログに上記のとおり執筆したのは1986年のこと。その2年前に友人の愛娘は韓国へ出かけていたのだ。
そこで、理由として推察されるのはこの4つ。しかし最初の3つは否定せざるを得ないだろう。
■オンラインで出会った交際相手がいる →インターネットの普及は1995年以降
■韓流ブームだった →『冬ソナ』による韓国旅行熱は1990年代になってから
■大学で韓国の歴史を勉強 →学習院大学・文学部心理学科を卒業
■親類がいる →大阪にホルモン焼き屋の親類がいるため、可能性はゼロではない
◆まとめ: 辰彦氏にはパチンコ屋の社長と韓国二人旅の報道も
2019年6月、辰彦氏の交遊関係に宮内庁が懸念を抱いているという記事が、週刊新潮から放たれた。新潟県でパチンコ店を営む「三井企画」の社長と韓国に一緒に旅行をしていたことや、朝鮮総連本部ビル売却問題に関係した人物との密会まで報じられたのだ。
ここにきて、紀子さまの日本語能力が怪しいことがまた話題に上るようになったが、そうした表面的なものに加え、より重要なのはご家族からどのような思想を植え付けられてきたのかということだ。紀子さまは将来的に「国母」を名乗るおつもりなのだろうが、国民の側は不安しかない。
上記引用
引用部分をまとめてみると「エトセトラ・ジャパン」様の仰りたいことはこんなことではないかと合点がいきました。
①国語の成績は社会科の理解力を大きく左右し、この二科目がふるわなければ東大合格などあり得ない。
②紀子さまは、長いこと米ペンシルベニア州で英語を話しながら過ごされたという。英語は「地声」でしっかりと発声する言語で、なぜそんな声の出し方を…と不思議でならなかった。
③親類がいる →大阪にホルモン焼き屋の親類がいるため、可能性はゼロではない
そして、今回の戴冠式出席後のホテル前でのインタビューを受けたのに何を言ってるのか分からないムニュムニュ返事の事実が重なる。
時間が経って、過去の事実を考察してみると国民がモヤモヤして不安を感じることの根っ子の部分がジワリジワリと解明されてきているように思える。
本当に、A宮妃の話し方は公の場では息を吸い込みながらゆっくりと、声は腹から出ず、かすれたような物言いで通ってきた。
そして、上目遣いに自分だけが納得して話は終わる。
何故、正面から視線を合わさないのだろう、会見の場だというのに。
実際に会話した人が、
「何を言ってるのか分からなかった」ことになる。
しかし、「エトセトラ・ジャパン」様が書かれているように、
「近年、紀子さまが宮内庁職員に早口で厳しい叱責をするとの情報もあり、婚約会見の楚々とした雰囲気は、単純に自身を純情可憐に見せるための演技だったのか。とはいえ、ぶりっこの賞味期限は驚くほど早い。」
実際は、早口でキーキーと厳しい叱責をする人(との情報)なのだ。
まさか!職員を叱責する時に息を吸うように、
「○×▽#$・・・、でございますから・・・???」
なんてことは無いだろう。
そうならば、御難場などと言われることもないだろうから。
1989年の婚約記者会見と、2023年の英ホテル前の9秒間の沈黙後のムニュムニュ返答は
34年の時を経て何も変わっていないことを本人自身で明らかにしてくれたということなのです。