令和元年元旦。
年末に買い物と新年会の準備をしたものの、最終に用意するものを元旦に買いに行くと決めていた。
「蟹」だ。
理由は、豪華ではないが、おせちの準備でお煮しめやら、酢の物やらの造り置きしたもの
で冷蔵庫は満杯なので、蟹だけは当日買うと決めていた。
新年会のメンバーは午後に到着、会は夕方からなので、それまでの間元旦にも営業中の大型スーパーに行った。
毎年こんな買い方をしているので人出はあるのだろうと思ってはいたが、去年より大型の店
ではその様子に驚いた。
年末との違いを感じない程の人出なのだ。
少し違うのは家族単位でお買い物中?ということかな。
何か、
「元旦からお店は営業してるんだから、必要なものはその日に買って揃えれば間に合うよ。」
と、いう風にお買い物されてるように見えた。
流石、大きな寿司桶を抱えてレジに向かうなんてのはお正月らしいのですが・・・。
最近は、商業的にはお店の側はクリスマスとか、正月を意識するような売り方をしているとは思うけれど、消費者の方はどうなんだろう?と思う。
まあ、イベント的に盛り上げてはいくけれど、それ一色になるようではないなと感じる。
だいたい商業ベースで一年の行事はスーパー側が先取りして売り出していくので、
「ああ、バレンタインデーか、とかひな祭りが近いな」
とかは感じられるけれど、全体的には冷めた空気を感じるのは私だけなのでしょうか?
と、いう風なことが「お正月」にもあるように感じたのです。
スーパーの様子も普段と変わりないし、昭和の頃はあった「正月の改まった空気」という
ようなものは殆どない。
「昨日と今日はいつもの続き」
という空気。
そういえば、祝日に日の丸の旗なんて出している家は昔はあったのに、今は皆無。
そんなことを言い出せば、
「何それ?」
でしょうね。
「お飾り」の文化のみ辛うじて残っているのではないでしょうか?
私の子供の頃は家族も正月用の着物を着たり、とに角大晦日とは全然違う、服装になって
家族で、
「おめでとうございます。」
の挨拶をしてお雑煮を食べたものだ。
3世代同居が当たり前の時代。
記憶にあるかないかの子供の頃は「初日の出」を拝みに行くために、元旦早朝起こされて
ピンク地の着物と羽織を着せられて連れて行かれるのが常だった。
多分、祖父か父に連れられて行ったのだと思うが、その日の着物を着せられる非日常を感じた思い出と、「初日の出」を拝んだ記憶は、私の中ではずっと印象に残っていたのだろう、
お正月のイメージとして大切なものになっている。
元旦のスーパーの賑わいに、大晦日と元旦の違いが無くて、便利だけど寂しい風景なのではないかなと感じ、こんな風景しか記憶に残らないとしたら、不便だったかもしれないけれど、自宅で餅つきをした時代を知っている私は幸せなのかもしれないと思う。
「蟹」を買いに行って、話がとんでもなく昔に飛んでしまいました。
が、しっかりと比較する記憶が蘇って、それはそれで感謝です。