それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

羨ましい最期。

ジム仲間の方のお母様が亡くなられた。

午前中は散歩もされていた方が夕方には亡くなっていたという急な出来事だった。

 

こうして書いていいのか考えていた。

書くことを許して頂きたい。

 

娘さんである御当人が話をしたくてプライベートなことを話してくれた。

彼女はあまりにも想定外の出来事に、悲しいのか、寂しいのか、怒りなのか

本人にも分らないような状態の中にいるように見えた。悲しい

 

どう慰めていいのかさえ分からなかった。

只々話を聞いた。

 

自分の親だったら少し違うのかもと思いつつも、この方の亡くなり方を羨ましいと思った。真顔

 

彼女の弟夫婦と晩年は暮らし、お料理も上手くて普段も普通に料理をしていたそうだ。

その方のライフワークがパッチワークで、かなり大きな作品も作り、布や毛糸で作る

お人形も趣味の域を出た個性的なものだった。

そんな作品がスマホに収納されていて見せて頂いた。

 

(作品の手法とは違いますが、パッチワーク離れした”お出かけ用バッグの雰囲気”

が似ているので引用させて頂きます。)

 

たまたま、娘としての彼女が今でも愛用できるとして持っていた作品は実際に手に取って

見ることができた。

一針一針が繊細でそれがいくつも繋ぎ合わさってできていた。

いかにもパッチワークという色ではなく、同じトーンの落ちついたバッグだった。

 

享年82歳、入退院をするような基礎疾患も無く、昼食後お昼寝をすると言って寝たあと、

夕食ができたことを伝えようと起こしにいった時には既に亡くなっていたという。

 

連絡を受けて実家に急ぐ時の彼女の心境は嫌な予感の中で車を走らせたと聞いた。

 

亡くなって一週間後には通夜、葬儀も済ませたという急なお別れとなった。

 

「こんなに急に亡くなると思っていなかったから、もっと先でもいいと思って

いたこともあって、話しておけばよかったと思うことが一杯ある」

と後悔もあるという。ちょっと不満

 

私は彼女の背中に手を当てて話を聞いた。

少しでも、手当になれればという思いだった。

 

私は亡くなられたお母さまの最期を羨ましいと思って聞いていた。

何故なら、理想の最期の迎え方ではないかと思うから。

 

 

私も、終活を考える年代で、常にいろんな範囲の断捨離を考えている。

今夏、夫が骨折入院したことで自宅の仕様を変えざるを得ないことになって

断捨離のチャンスと決断できた物も多い。ニヤリ

 

使用しないのに捨てられないだけの物だったのは棄てることができた。

この後もまだまだ続くけれど、奥まった収容物を掻きだして実際に使用

する物の場所にする。

忘れていたような物は不要なので、今使用する物だけにしていきたいのだ。

 

何故か。

彼女のお母様のようなことがあっても、この世に残すことと始末しておくべき

ことができていれば、最小限の後始末を子供に任すだけで済むのではないかと

思うから。真顔

 

 

お母様としては好きな事に精を出して楽しんで、普段の生活を最後までできて

、眠るように亡くなられた。

包括支援センターなどのお世話になることも無く、デイサービスに行くことも無く、

入退院で家族にお世話になることもなく、静かに息を引き取られた。

 

亡くなられた方の思いはそれなりにあるかもしれないし、遺された遺族の方の

思いはまだまだ整理されないでおられるだろう。

 

三者としてお話を聞いた限りでは、自然に命の火が消えたかのような最期を、

率直に羨ましく思えたのです。

 

私もそうありたい!と思ったので、普段の断捨離、不要物の分別、必要書類の整理

を、益々頑張って行こうと決めたのです。

 

 

亡くなられたお母さまは普段の身なりにも気を遣われていた美しい人でした。

お写真を見せて頂いて、尚更お母様の生き方を見習いたいと思いました。

 

心よりご冥福をお祈りいたします。