それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

人生最期の衣裳。

従兄弟の通夜に参列した。

 

台風14号の迷走に巻き込まれた日でした。

通夜と葬儀が雨の中、・・・間の悪い日でした。

 

それでも、近しい親戚の面々とは久し振りに会い、暫くの間会ってなかった

夫婦たちの急激な変化に、内心「誰だろう?」と見間違えるような驚きだった。

 

逆に、私にも、そんな変化はあったのかもしれませんが、自分ではわからない

ものですね。(認めたくないのかも・・・。😞)

 

通夜に儀式が無事済んで、従兄弟の最期の顔に対面した。

安らかな顔が見られて、最期のお別れができた。

 

 

彼は独身だったため彼自身が暮らしていた都市から、故郷の実家がある

地元に引き取って来ての葬儀になり、兄弟姉妹がお世話した。

 

病気治療し、最期の頃は同じ関東圏に住む妹がお世話したそうだ。

治療も空しくホスピスで亡くなり、そのまま実家の墓がある寺での

葬儀になった。

 

独身生活だったが、帰省すれば私の母の家にはよく寄ってくれて、母も、彼も

実家にいるような雰囲気で過ごしていた。ニコニコ

 

だから、兄弟姉妹(彼は三男)に最期を見て貰えて幸せだったと思います。おねがい

 

そんな中で、たった一つ、私だけが感じたことかもしれないことがあった。

 

お棺の中の彼が最期に着ていたものに、何とかしてあげたかった・・・。ショボーン

ホスピスでの最期の時に着ていたであろうTシャツ姿であった。

襟元に名前が書かれていたような・・・。

 

亡くなって、自宅に戻らず、そのまま通夜の場所に運ばれたので

遺族もそこまで気付かなかったのかもしれない。えー

 

ただ、遺体がお棺に入る前に、本人が生前好きだった着物だとか、大事にしていた着物

などを最期に着れるように遺族は思い遣る。

 

亡き人と生前のコミュニケーションが取れていれば、そんな事も話していたりする。

しかし、そこまで親しく話はしてなかったのだろう。ショボーン

 

彼とは幼い頃から兄弟のように節目、節目の行事などで遊んだ間柄だ。

病気治療していたなら、生前会いたかったし、終活についても話せていたかもしれない。

 

 

彼の最期の姿に会えたのだから、こんなことは心の奥にしまっておこうと思った。

 

でも、考えさせられた。キョロキョロ

 

できれば、自分がお棺の中に入る時の”衣装”は自分で決めて、それが実現するかは

わからないが、遺る家族に伝えておかなければいけないと。

 

因みに、実家の母の衣装は、”父との晴れの日”の記念に作った着物と帯を着て貰った。

姉と相談して意見が合った着物だった。

 

父の時も一番好きだった大島紬の着物だった。

 

母の妹の場合も、好きな着物を着て貰った記憶がある。

従姉妹同士で、

「帯はどれにしよう?」

などと迷ったりしたことも記憶にある。

 

人生の最期、旅立つ時の衣装に拘ることができれば幸せだろうと思う。

拘ってくれる遺族がいれば、それも幸せなことだろう。

 

彼の人生を振り返り思い出し、教えてもらったことなのだろう。

いろんな思い出ありがとう。照れ

 

ご冥福を祈ります。