夫が入院していた時、姪夫婦から御見舞いの書留封筒が届いた。
私の父母の世代は、
誰かが(配偶者や家族も)入院、死亡などということになると、
必ず連絡網があるがごとき連絡が入って、実際にお見舞いに行ったり、
行けない場合は、行ける人に「お見舞い」を事付ける。
代わりに届けてもらうということをしていた。
当時の兄弟姉妹は人数が多いから、慶弔どちらも連絡が入り、その付き合いは
「行ったり来たり」のお互い様だったように思う。
日常生活以外の出来事にお互いに助け合うという意味合いのあるやり取り
だったのではないかと、今になっては思う。
今のように保険制度にも加入してなかったり、葬儀も町内全員がお手伝いをするような
大事だったから不意の出費にも助け合いが必要だったのだろう。
その次世代の私は、そんな助け合いの慶弔事によってお節句事などには親戚の家に
挨拶回りをするほどお世話になったようだ。
七五三の着物を着て、親戚の家を訪ね、お祝いを頂いた品々で揃えてもらった
(らしい)晴れ着を披露しに行ったのだと思う。
私にとってはそんな形式のことは知る由もなかったが、晴れ着を着て行く場所があって、
「まあ、綺麗な事、おめでとう!」
と、言ってもらうことが晴れがましく嬉しかったことを覚えている。
前置きが長くなってしまいましたが、そんな親戚同士の付き合いも、世代が代わって、
その子の代とのお付き合いも薄くなって、最低限葬儀とその後の法事の時くらいしか集まることも無くなってきている。
だから、お互いの家族の入院など、連絡することも無くなり、まして病気入院したとしても、お返しだの何だのが面倒だということで、前もって、
「お見舞いなどいらないからね。」
と、釘を刺されてしまう始末のこの頃なのだ。
気楽と言えば気楽だが、だんだん親戚付き合いも希薄になっている。
そんな中、姪にあたる夫婦から丁寧なお見舞いが届いて、まだ親戚付き合いの残っていることが嬉しかった。
たまたま、他の用事で話した時に、夫が入院しているとの話題になったことがその理由だと思う。
私も姪夫婦の夫が脳出血という大事に遭った時にお見舞いを送っていたので、今回の夫の入院に際してお見舞いしてくれたのだと思う。
こういうことって、お返しとかを考えることなく、何かの形で気持ちを伝えるということの現れであるだけなのだが、やっぱり嬉しい心遣いとなる。
その上、やはり若い世代だけあって、同時に可愛いメッセージも添えられていた。
↑猫ちゃんの”手”を除けてカードを開けるとメッセージが現れる。
お見舞い熨斗袋の中に、一緒にこんなカードが添えられていて、
お見舞いの気持ちが一層熱く感じられた。
私はこんなカードを添えたことが無かったので習慣として考えなかったけれど、
こんな添え方もあるんだと姪夫婦の優しさを実感した次第なのだ。
ありがとう!