それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

”ちょっと休憩「むせび泣き オールデイズ」”と重なる思い出。

 

う~ん、ジャスミン真理子さんのブログを読ませて頂くと、同じような光景が蘇ってきて

リブログさせてくださあ~い、とお願いしてしまいます。<m(__)m>

 

ジャスミンさんが高校3年の体育のプログラムと同じような経験を、中学生の時していた事を思い出しました。キョロキョロ

 

体育教師というと全身日焼けで真っ黒で、女子には女性の体育教師でしたが、

新米の若い、日体大卒という小柄だけど、均整の取れた女性教師の時間に、

ダンスのプログラムがありました。

 

グループに分かれてどのようにまとめたか覚えていないんですが、

ちょっと素敵な先輩という感じの教師に褒められたくて振り付けを考えたことだけ覚えています。滝汗

 

教師やってて(成れの果てが)こんなに色黒で化粧っ気もなく、自分は動かなくて

置物のように立っているだけの教師が当たり前のような時代に、若くて素敵な先生の時間

が楽しくて、特に普段は無いようなダンスの授業が新鮮だったことを覚えているんです。

 

ジャスミンさんの記事からそんなことが思い出されたのです。

懐かしい・・・。照れ

 

音楽も、すんなり思い出してしまうのです。

十代最後のクリスマスのお話。

 

以下引用

 

不滅の人気ナンバー 

『ビー・マイ・ベイビー』から はじまって

『ダンス天国』『ヤング・ワン』『サンライト・ツイスト』『ロコ・モーション』・・・

 

次から次へと シングル盤をかけ

変テコな カタカナ英語や 替え歌で盛り上がり

 

頂点は この曲だった。

ママス&パパスの 『夢のカリフォルニア

 

上記引用

 

ママス&パパスの 『夢のカリフォルニア

 

メロディがすぐ浮かび、当時見てもないのにカリフルニアを陽光燦燦としたビーチと

想像したものです。

 

 

それこそ日本の復興を世界にアピールした1964年の東京オリンピックから

数年後の世界で、海外特にアメリカから音楽情報がバンバン流れて来て、

弘田三枝子さんや中尾ミエさん(三人娘として売り出した)、坂本九さんなどが

カバーして歌っていた時代です。

 

そういう歌手の方も、戦後まもない頃から進駐軍に関わる場所で歌手として

歌っていたどという経歴を持つ方が多かった。

 

だから、輸入盤と同時にカバー盤として日本語でも大いに歌い、聴いていました。

 

将来のことも考えながら青春真っ只中でした。ウインク