年賀状のあれこれ。
今年もまた、年賀状の準備をしている。
数年前までは宛名も手書きにこだわっていたが、もう、そこはこだわるのを止めて、宛名ソフトで印刷している。
やっぱり早い。
それに、一旦住所録を作ってしまえば、喪中葉書を頂いた方の印刷をOFFにするだけで済む。
勿論住所変更した方、新しく頂いた方のは、お正月が落ち着いた頃にチェックして更新しておく。
それだけで、プリンターがせっせと印刷してくれる。
夫はデジタル派ではないので、暮れの押し迫った頃に宛名書きしているのを見かねて、
裏面には口出ししないが、宛名の印刷を引き受けてあげることにした。
印刷を引き受けるということは、住所録も私が整理して登録しておくということなのだ。
それで、昨年からは彼は裏面のデザインを印刷屋さんに外注し、表面の宛名は私に任せてという年賀状作り
をしている。
要するに「生存確認」そのもの、あまり心のこもっていない義理年賀状なのだ。
彼の年賀状を整理していると、夫婦連名でやりとりしている方が多いと気づく。
「夫婦連名?」
と、私は引っ掛かる。
勤務先の方、友人、親戚、その他諸々・・・、そういう関係宛てに全て連名か、と。
個人個人考え方があるから出し方は自由ですね。
我が家の場合は、全く人間関係を個人のものと考えているので、年賀状に連名はないのです。
世帯主として夫の名前で出すものならば、彼の名前だけで十分です。
だから、彼の人間関係の歴史と、私の人間関係の歴史は全く別で、したがって各々が自由に
年賀状を出している。
ということで、作る過程も関知しなかったのです。
私は早目準備の早目投函型。
彼は暮れの最後の最後の頃までかけるゆっくり型。
各々の自由です。
私は、いろんな人といろんな付き合い方をしてきて、それは、子供の母親としてだったり、
版画を習った頃の先生や仲間だったり、運動を目的の仲間だったり、旅で出会った人だったり、
勿論学生時代の友人なども含まれる。
だから肩書ではなく、個人として、友人の顔が浮かぶ。
その顔を思いながら、そこにあるコメントに頷きながら、一年の思いを込めて、大事な手書き部分を書く。
その一枚一枚が大事なのだ。
皆個性的なのだ、形式の中に埋もれてしまう年賀状ではない、しかし、相変わらず基本姿勢は変わらない
彼等の年賀状は、一目見ただけで、「○○さん」と分かるのだ。
私の私なりの形式も変わらないのだろうな、と納得しながら、これからコメント書きに心込めます。