年賀状が来なかった人。
年齢を重ねるようになると、”年賀状終了宣言”をされる方が毎年一人か二人くらいいらっしゃる。
年賀状を出さなくてはという気を遣うことが面倒になると予想される。
したがって、お正月も落ち着いた頃、年賀状の整理をし、住所録の備考欄にその旨を書き込む。
来年は出す枚数も減るのだと、ちょっと寂しくもある。
お互いに、
「生存確認だからね!」
と、冗談で言い合ったりするが、実際にそうなのだ。
今年の年賀状事情の中にはそれが実際に起こっていた一枚があった。
毎年交換していて、たまにはメールでも近況報告をしていた人がいた。
その人から年賀状が届かなかった。
最近までなにか事情があったのだろうから、返信の賀状で届くのかもしれないと心の内では
待っていた。
その人は、私の人生の中では貴重な体験となった場所でいろんな人に巡り合った時期に、一番一緒に行動を共にし、思い出にも残る場所へと繰り出した人なのです。
海外での短期留学時にクラスメートの学生だった若者だった。
私は仕事と仕事の間を利用しての一人の主婦&母親でしたが思い切っての参加。
クラスが一緒ということで授業の終わり時間も同じで時間が取りやすかったのも理由で、
兎に角授業が終わると探索するように都市の周辺やその郊外へと観光案内のガイドブックを踏破するくらい歩き、電車に乗り、渡し船のようなボートにまで乗りに行った。(結果乗ることになった。)
海岸沿いの砂浜に近いこんな道を自転車で走った。
きつかったけど、彼はギブアップしなかった。
「On your left!」と、声かけて抜いていく人のマナーが新鮮だった。
学校の小旅行の募集にも参加して、アメリカ東海岸のバスの旅も一緒だった。
だから、帰国後も、何かと連絡を取り、彼が就職後は仕事で私の住んでいる場所の近くに出張で来る時に再会できたこともあった。
その後は年賀状で、結婚した際の写真も見れて順調に幸せそうな彼の姿に親のような気持ちで嬉しかった。
メールのやり取りもできるようになってからは時々あの頃のことを振り返ったりして楽しかった日々を確認したりしていた。
だから・・・、不思議に、思っていた。
2023/01/23だったと思う、ある寒中見舞い状が届いた。
彼のお姉様からだった。
面識のある方ではない。
今年の年賀状から手繰ってお知らせくださった寒中見舞い状だと思われる。
彼は、2022/02/末日に永眠されたと書かれていた。
まさか、えっ?、何?嘘でしょう?と、葉書を読み直した。
暫くして、去年の年賀状は来ていたが添え書きが全くなくて、珍しいことだなと思ったことに
繋がった。
何かあって、それでもとにかく書いてくれたのかもしれない。
いつもと違って、何か変化があったらメールでも電話でもするべきだったと後悔した。
大事な思い出を一緒に作ったけれど、日常の中ではプライベートに踏み込んではいけないと、
元気にお仕事しているだろうと想像していたし、負けず嫌いな真面目な人だったので、体力的にも
大丈夫な今や中堅となって仕事をしている男性になっていると思っていた。
その彼の永眠をお姉様が知らせて下さった。
能天気に、あの頃は楽しかったこと、私の家族のことなど書き添えたのでお知らせ下さったのだろう。
彼は読んでくれたと思っていたが、もう届かない世界に逝ってしまっていたんだ。
頻繁に会える訳ではない、距離的にも住まいは遠い、お互いに生きているのが当たり前だし、
いつか機会があれば北アルプスの連なる彼の町に行くのもいいなと思っていた。
まだまだ行く機会はやってくるはずと思っていた。
楽しみでさえあった。
そんな当たり前が突然遮断されてしまった。
そんなことってある?
逝くなら私の方がずっとずっと先にの筈だった・・・、なのに何故?
彼は人生まだまだこれからなのに・・・。
お姉様に、お手紙だけは、先ず、書きたい思いでいる。