それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

いつもと違うこと。

昨日、古民家レストランに行った。
猛暑日のお昼に向けてのドライブだったから、走っている時も、冷房しても暑かった。
ランチして駐車してあった車に戻ると、シートは座れないくらいチンチンに熱い。

 

新東名より北に向かった場所なので、山並みが続く、という長閑な風景だ。
ただ、民家はない場所だったが、一部山崩れが起こった様子で、山肌が現れ、
地すべりと共に、木が根っこから滑り落ちていて、あの、6日の豪雨の影響
がここにもあったのだと、思わされた。

 

実は、予定ではその日をあの豪雨の、6日に予約してあったのを一週間ずらして

14日にしたのだが、多分正解でした。

 

そういうことで、夏休みが始まれば、河原で、キャンプやBBQをするような地域だ。

暑いといっても空気が違う、緑の木々が目に優しい、街中の騒音は皆無、鳥の鳴き声、が遠くに聴こえ、空を見上げる。

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そんな中で、友人とも、5ケ月振り位のランチだ。
彼女は思春期の娘たちの子育て真っ只中で、その娘たちが生まれる前からの付き合いだ。
私は一応?卒業して、理解はできるが、少し気持ちを離して、会話ができる。

でも、お互いに、子供を強くリードしたいとか、ベッタリとしていたいとかが無く、家族があっても自分の意志も時間も目標も持っていたいを貫いているので、会ってみれば、会話は弾む。

 

彼女は、この5か月の間に、ある手術を受けていて大変な状況にあったのに、今まで以上に元気で、綺麗で、いろんなイベントを開催したりも、復活させて、益々、いろんな人と親交を深めている。


私もその間の話をし、またまた、アンテナに引っ掛かるイベントを聞いてしまって、9月のライブ行きは一緒に、との予定が決まった。

 

約束がある、無しに関わらず、外に出る、生身の人間に会う、話す、情報がやり取りされる、それは、少しだけど、いつもとは違うことをする、ということになる。

 

いつもと同じこと、ルーティーン作業も勿論基本必要。
けれど、それができなくなるからと「少し違う時間」を断るのは勿体ない。
「少し違う時間」は、日常ではないので、「脳」は嫌う。
でも、「脳」にも慣れさせることも必要で「慣れてね」とお願いする。

 

未知の場所なら道路情報も必要だし、かかる時間も未知なので、ネット情報で想像する。
後日、実際に行動してみると、想像との違いに、がっかりしたり、
「ま、そんなに違いはなかったかな」
とか、
「うわ~、想像を超えた~!」
とかがあって、とに角、そういうことを感じるのが楽しい。

 

これはプチ旅行の感覚なのだ。
準備期間中、まだ旅は始まらなくても、旅は始まっている時が、ワクワクする。
語れば長くなる。

 

そう、「少し違う時間」はミルヒィーユのように心に重なって、新しい気分を吹き込んでくれたり、自信を付けてくれたり、ちょっとした冒険心をくすぐってくれたりする。

 

猫との関係があるので、長い旅はできないけれど、

「死ぬまでに行きたい場所・何故行きたいか」

を整理しておこうかな~、といつまでも、ワクワク心を失わないように、と、昨日の会話から思った。