人生二毛作
新聞のコラム欄を読んでの記事を引用させてもらいます。
以下引用
人生50年と言われた時代、49歳での隠居は遅すぎるくらいだった。家督を息子に譲り、江戸へ出て天文・暦学を学び、55歳のとき17年間にわたる測量の旅へ一歩を踏み出す。近代的日本地図作成の偉業を成し遂げた伊能忠敬[いのうただたか]。きょうで没後200年になる
▼作家井上ひさしが、忠敬を主人公に長編「四千万歩の男」の週刊誌連載を始めたのは1976年のことだ。〈一身にして二生を経[ふ]る〉。長寿社会を見据え「この人の生き方が手本になると思った」と当時、執筆の動機を語っている
▼それから40年余り。政府は人生100年構想を打ち出し、高齢者の定義も75歳以上への変更が取り沙汰される。「余生」はもう死語かもしれない。忠敬に倣うまでもなく、仕事やボランティアで「人生二毛作」「生涯現役」を目指そうとする人が増えている
▼定年後、デザイン専門学校に入学した柴田彰彦さん(60)もそんな一人だろう。作品が学内コンペで最優秀に輝き私鉄駅のマナー啓発ポスターに採用された。「挑戦して損することはない」。先日載った地方版記事のきっぱりとした談話に目を引かれた
▼3年制のグラフィックデザイン科の現在2年。伺うと「若者との切磋琢磨[せっさたくま]は楽しいし刺激的」と笑顔で話してくれた。継続雇用も選べたが迷った末、長年温めた夢を取った。同居する90歳の母親の賛成も大きかったという
▼「要は面白がったもの勝ちじゃないかな」。そんな言葉も新鮮だった。“二つ目の山”を登る流儀は人それぞれ。平凡でも手本にしたい達人は意外と身近にいる。
以上引用
40年も前に、井上ひさしさんはこんなことを考えていたんだと驚いている。
一身にして二生を経る。
こんな生き方は憧れますが、一朝一夕には始められることではなく、伊能忠孝という人の計画性と実行力も見えてきます。
多分チャレンジするための財力も、調査力も並みのものではなかったと想像します。
一毛作と二毛作目とどちらが本流だったかはわかりませんが、基礎部分が成功しない限りその上はないのではと思うので、
副業が認められ始めた今、働き盛りの人達の働き方の何かのヒントになりそうです。
教科書で覚えただけの人物が、非常に身近なものと感じています。