避けていたので・・・。
コロナ禍で、
「出掛けない」
「密にならない」
「交流しない」
が基本になっている社会。
人々の気持ちはその逆だろうと思う。
思い切り行動されたいだろうな、と。
商売されている方々は悲鳴を上げている。
商売・・・、人々がいて初めて利益を上げられる全ての営み。
観光、輸送、宿泊、日常の動きの全て、それらに制限を掛けられるとこんな社会になるんだと改めて驚く。
逆に、人々の日常生活と移動が社会を支えていたんだと再認識する。
そんな中で、急激な変化を受けていないかもと自分を振り返った。
何故か、・・・・。
元々レッドオーシャン的な場所には行かない。
混む場所に行くなら、混む時間帯は、曜日は成るべく避ける。
だから、普段でも、
「ゴールデンウィークどこか出かける?」
と、訊かれると、
「ゴールデンウィークは避けて他の日に出掛ける。GWは家の中で整理作業する。」
などと言い続けてきた。
暮れであろうと、夏休みであろうと、世の中の大勢がすることはしない。
料金高く、サービス低下し、事故が起こり易い時期は避けてきた。
そんな意識は他の事にも働いていた。
今、通常ならウィンタースポーツの季節だ。
スキー場が賑わう季節だろう。
そんなことも”避ける意識”の元最近は行かないでいた。
夏も然り。
夏の、夏休みを利用して動く人混みを避けていた。
だからか、楽だけど、節目のない一年があっという間に過ぎてしまう。
子育て時代はそんなこと言ってられなかったし、人並?の夏休みの経験を子供達に
与えてやりたかった。
家族旅行もした。
冬休みの経験も然りだった。
スキーやスケートにも行った。
しかし、子育ても終わり、混雑の中に突っ込む必要が無くなったら、ブルーオーシャン時期
に行動すれば足りるので、レッドオーシャン時期、世の中の体勢の動きに合わせなくて済むようになっていて、今回のコロナ禍の中でも、そんなに変化を感じないのだろうと思っているのだ。
”避けていた”を世の中も始めたに過ぎないからだ。
世の中と同じ様に動き回っていた方々は”制約”に窮屈な思いをされているのだろう。
私は私のルーティーンの中で動けていたのであまりの窮屈さを感じないが、世の中の大半の人と同じ様に動いていた人々は同じ様に制約を感じられるのだろう。
私は天邪鬼な一人だと思うが。