それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

アンという名の少女3。(8話/10話。)

 

 

↑あらすじも読めます。

 

ここでは「見どころ」部分引用します。


第8話で、ついに我らがリンド夫人が立ち上がった。古い慣習にとらわれた学校評議会メンバーの卑劣なやり方に奮起し「問題は根深い。彼らの女性の扱いはひどい。あなたの無謀な記事のおかげで、私も気づかされたわ」と、前回波紋をよんだ記事を持ち出し、アンの“女性の尊厳”に同意する意向をみせる。

どの時代の女性達も、コミュニティーにとって重要な役割を担っており、政治や経済に直接関わっていなかった時でも、善く生きるという信念と、男性とは違う形の力を持っていたはず。互いの立場を尊重しあえないのは、おかしな話なのだ。アンの記事はリンド夫人に影響を及ぼし、みんなが声をあげれば世の中は変えられると生徒達のデモに感化されたリンド夫人は決意をかため、評議委員たちに立ち向かっていく。彼らを前に、リンド夫人がみせた見事な政治手腕は感動ものだ。

上記引用部分一旦終了。びっくりマーク

 

 

右差し その様子は録画場面でどうぞ!

 

「学校を焼失してしまったのはあなた達の仕業ね。知っているのは私だけ。」

と、詰め寄り。

 

 


 

 

 

 

そして、次のように言う。

 

「このことは言わない。約束する。その代わり評議員に女性を加える。

男性3人、女性3人(今まで一人)とする、男女平等よ。

賛成の方は挙手をお願いします。」

男性の既評議員達は仕方なさそうに挙手する。

「これで決まりね。」

と、リンド夫人。

 

とにかくず~っと話し続ける。毎日皆さんが死ぬまで。

と、いう台詞に拍手喝采拍手の気分で、録画の場面を切り取った。

 

不正は不正だと言い続ける、不正から逃げようとする者が死ぬまで、という

その気概に感動!でした。ウインク

現代の私達もそうでありたいからと!(目に余り、耳に余る不正が炎上中の日本)

「とにかくず~っと」

と言う台詞が、ず~っと頭に残り続けました。ニヤニヤ

諦めたり、黙っていたりではいけないんですね。プンプン

 

 

以下引用再開びっくりマーク


赤毛のアン』の中で「女性も参政権を手にするべき」と語っているリンド夫人。しばしばアンも政治については熱く語っている。ちなみにカナダ連邦議会への女性参政権が認められたのは1918年、プリンスエドワード州の州議会への参政権は4年後の1922年で、本作(カウンティフェアーの看板から推定して1899年)から、まだ20年ほど先の話になってしまう。

そして、「我慢するいい子」でいることをやめたダイアナも、強い意志で自分の人生を歩んでいく決意を固める。その頑なな様子たるや、まるでアンが2人になったかのよう。恋人だったジュリーへの別れの告げ方と、このドラマでしか見ることができない両親への反抗に驚かされること間違いなし。

そして、アンとギルバートの想いがここで大きくすれ違ってしまう。両想いのはずなのに、どちらも傷つきたくないばかりに正直な気持ちを伝えられないでいる。ギルバートはウィニフレッドとの結婚を相談することでアンを誤解させ、ギルバートはアンの返事に愛がないと傷心してしまう。すでにオリジナル展開となったシーズン3、アンとギルバートの恋の行方は予測不能だ。

 

見どころ引用終了。びっくりマーク

 

「ちなみにカナダ連邦議会への女性参政権が認められたのは1918年、プリンスエドワード州の州議会への参政権は4年後の1922年で、本作(カウンティフェアーの看板から推定して1899年)から、まだ20年ほど先の話になってしまう。」

と、引用文の中にあった。

 

それでも、1899年は日本では明治時代、まだまだ女性の参政権など先の先の話だ。
今回の第8話には、現代社会でもそのまま受け入れたい台詞(言葉)が散りばめられている。

そこが魅力的な物語となっている。

 

因みに先回第7話でアンが主張した新聞の録画部分がこちら。びっくりマーク

 

「愚かな古いルール」

「体の不可侵性」

「抵抗」

「女は男に保管されない。生まれながらに完全」

 

プリンスエドワード州のアボンリーという地区でこういう新聞が発行されて

町は大騒ぎになったが、ステイシー先生の言葉は力強かった。ウインク

 

「大手の(進んだ考えの)新聞なら喜んで取り上げる記事だと思うわ、頑張って!」

ただ、アボンリーではまだ早かったと言いたかったのだと思う。

 

次回の9話は2022/02/27の予定だということです。

北京オリンピック開催のためでしょうね。

第9話が待ち遠しいです!ウインク