”ざっくり私の子育て論”によせて。
リブログ失礼します。
リトフォレさんとお孫さんのオモチャの話で気になりました。
私も、何かに専用というオモチャを与えることは強いてしたくない派です。
オモチャは最小限にしておきたいし、あれもこれもで室内が散らかるのは好みません。
クリスマスが近いということでオモチャ屋さんの様子がニュースになってました。
そのオモチャの種類を見ると、実際にクッキングができるようなキッチンのミニ版のような
ものとか、実生活の縮小版のようなオモチャなんだと、驚きました。
子供は大人の真似をする遊びをしたがるし、私だっておままごとをして、家族の役割を
演じるような遊びもしました。
だから、ママに憧れたり、パン屋さんになりたかったりは解る。
でもそれを一つ一つ揃えたらオモチャで一部屋必要になりそうですね。
私は自分でも記憶している程おもちゃ屋さんが好きだった。
だから毎日のように位におもちゃ屋さんに行っていろいろ眺めているのが好きだった。
実際に、ミルク飲み人形や、カール人形などが発売されれば父がいち早く買ってくれて、
近所の子供が持っていないオモチャでも私は持っていた子供だった。
何故、父がそうしてくれたのか分らないが・・・。
私が、
「欲しい、欲しい!」
と、駄々をこねた訳でもなかった記憶がある。
だからその人形のベッドや周辺の物もあって、近所の子供達とよく遊んだ。
楽しい子供時代だった。
オモチャではいつも満足していた。
でも、それだけでは無くて、複数人で遊べる、お手玉やおはじきなど、技術や
攻め方なども考える遊びもよくした。
だから、○○セットとかいうおもちゃを欲しがる子供の心理も解るし、
ゲーム感覚で順位を争う遊びの大切さも解る。
それに、何も与えられなくても、かくれんぼしたり、ゴム一本でゴム跳び、石一個
で石けりなどで遊ぶ面白さも解る。
で、最初の最近のオモチャの話に戻るが、
○○セットでしか遊べないのなら可哀想だなと思うのだ。
「何して遊ぶ?」
からスタートして人数を見て遊びの決定ができるような遊び方をさせてあげたいと
思うのだ。
核家族だし、親は働いてるから、勝手な子供たちだけの外遊びができない時代ですから、
結局学童保育の時間内の遊びか、学習か、塾かになってしまいますね。
まあ、その分、私達の子供時代にはなかったスマホやデジタルオモチャがあるわけだから
其々の時代に合った遊びとオモチャとの関わりが生まれて子供は育つということなのだろう。
でも、やっぱり、想像力を働かせる遊び方をするには"無”の土台も必要かなと
思ってしまう。
クリスマスプレゼントで、子供達は何を貰ったら喜ぶんだろう?