それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

「物には住所がある」

「物には住所がある」といつも思っている。

 

家庭内では、使った物は元に戻す、その住所に戻す、ということを実行してもらう。

何か新しく買ったら、その住所を決める。

住所のスペースがないのならば、それが入る場所の要らないものを捨てる。

 

例えば、靴一足買うのならば下駄箱を想像して、収納スペースがあるか確かめる。

不要だけど、スペースを占領している靴を捨てられるか考えて、スペースを空ける。

 

そんな暮らしをしていて、あるべきものがその場所になかった時は、

「あれっ?何で?」

となる。

 

玄関先で家の鍵を持って出ようと、いつもの「鍵入れ」を探って、なかった時、帰宅時の行動を

振り返る。

「そうだ、コートのポケットに戻してしまってそのままだ。」

と、着ていたコートのポケットに戻る。

 

首元を温かく包んでくれる小振りの毛皮の襟巻は、猫の散歩の時間に重宝している。

いつもの朝の支度中、襟巻を、いつもの玄関先のコート収納場所にあるものとして

取りに行く。

「あれっ?無い。なんで?」

となる。

「そうだ、耳鼻科にして行って、待合室ではずして、バッグにしまっておいたんだ。」

と、振り返る。

 

それで、バッグの中を探すと、小さくなって収まっていた。

「あった~!よかった~!」

と、なる。

 

「物の住所」が決まっていると、そんな紛失時にも、その場所での行動を振り返ると、

紛失して探しまくるということはない。

イレギュラーな行動を取ったことが思い出せれば、そのイレギュラー対象を振り返れば、

物は出てくる。

そして、それらはまた、いつもの住所に戻しておく。

 

この季節、手袋とか、マフラーとか、冬用小物は、意識していないと、何となくその辺に

置いたり、ポケットに入れたままにしてしまいがちだ。

出掛ける時に、あった筈の場所にないと、無駄な時間を費やすことになる。

「物の住所」は大物から小物まで何にでもあてはまることことなので、特にPCの周辺機器

などは、引き出しとかラックとか本当にきちんと決めておかないと、暫く使わないものなど、

「どこに収めたっけ?」

と探さなくてはならない。

 

その上、家庭内はいろんなカテゴリーの物が溢れている、常に整理に励み、新陳代謝

心掛けないと、必要なものがすぐに使えない。

 

たったの、襟巻がなかっただけの話なのに、普段の「物の住所」の大切さを痛感した。