「簾」
明日は涼しくなるだろうか、明日は涼しくなるだろうか、と天気予報を観るこの頃。
予報が期待を裏切って、冷たく、
「最高気温は36度でしょう」
と、言い放たれると、明日も早起きするしかない!と決意する。
そんなで、「猫散歩」は午前6時前には終了すれば、陽射しはまだ避けられる。
ということで、まだ人通りのない住宅地を猫とゆっくり散歩する。
猫は家と家の間の通路などにも入り込むが、何かあればご挨拶できる間柄なので入らせてもらう。
すると、表側からは見えない、それぞれのお宅の事情が見えてくる。
枯れてひっくり返った「鉢植え」が転がっていたり、雑草が生え放題だったり、掃除道具が放置されてたりと。
どこのお宅も忙しい、そして今夏は外にも出られない程の猛暑続きだ。
雑草が生えようが、植木が枯れようが、もう背に腹は変えられぬ、熱中症を避けたい、になる。
いつもと変わらぬ町内を歩いていると、「定点観測」のようになり、いろんな佇まいが目に入る。
その一つが「簾」だ。
町内のお世話も活発にされるお宅の簾は新しく生き生きとしている。立派な日除けだ。
かと思うと、もう何年も」替えたことがない、今にも崩れてバラバラになってしまいそうな簾がかかったままのお宅もある。
そんなお宅の主婦はあまり会うことがなく、ゴミ出しもご主人ということが多い。
家にも「風貌」というものがあると思っている。
それは家の周囲の植木や花や、何気ない日除け対策などに表れる。
家の外にあるからこそ、そこにはそこの住人の「考え方」が出てしまう。
ま、家そのものもそうですが、案外住み始めると、住み方でどんな住人なのか想像がついてしまう。
それが「風貌」だと思う。
たかが「簾でしょ?」
ということかもしれないが、どのように暮らすのかという意志が見えるのと、ただ日々を送るのとでは、おのずと違いが出てしまう。
日除けに、その家にマッチした素敵な「シェード」など使っているお宅などに出会うと、その家の人に会ってみたくなる。
だから、たかが簾でも、私は真夏になる前に、毎年新品に取り替える。
小ぶりのものも、来年用に今年の内に新品を買っておく。
小さなメンテナンスが家自体を元気に見せてくれると思うからです。
猫も葦簀(よしず)の陰が好き。
小さな、小さな毎日の「お手入れ」は家も喜んでいるように感じるのは、自己満足でしょうか。
私の朝の日課の一つに、庭に面して付けたユーカリの木でできた小ぶりのデッキを拭き掃除するが、ある。
そして最後に玄関ドアーも拭いて終了。
デッキも、玄関ドアーも、
「おはよう!今日も気持ちがいいね、ありがとう!」
と、言ってくれてるようで、私も、
「きれいになったね!今日もよろしく!」
と、会話しているような気分になる。
住む人が心地よければそれで良し!ですね。