それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

長引く咳。

10月29日の月曜日にやっと内科医院に行けた。

かかりつけの医院だ。

 

咳が2週間程続いている。

まだ完全に寒くなると信用できないで、寝具を冬仕様にしていなかった頃油断したからかもしれない。

 

でも、咳くらい自然に治るでしょう。

なんて思ってもいたし、日常の予定の中に病院に行く時間が中々取れなかったのも一因だ。

 

でも、毎日、どこかに出掛ける度に、咳をするので、

「大丈夫?」

と、心配されていた。

ああ、マスクをしてないと、人に移すかもしれないし、人も気になるだろう、と肩身が狭かった。

 

それでも、月曜日なら行ける、と我慢をしていた。

就寝後、寝ていても咳は出ていた。

自分も、勿論辛かったのだが・・・・。

 

掛かりつけの医師は、

「もっと早く来ればよかったのに、気管支炎を起こして治りにくくなってしまうんだよ。

自然治癒は中々しないんだから、お薬出しておくからね。」

と、言われた。

 

それで、頂いたのが、このお薬。


①上気道炎、気管支炎の治療剤。「ムコダイン

②咳止めの薬。「ビソルボン」

抗生物質。「クラリシッド」

 

①と②は毎食後、③は朝と晩、各一錠ずつ服用。

 

まだ、時々咳き込むけれど、薬を服用する前より楽になった。

咳くらいと勝手に思い込んで治りにくくしてしまった感はあるけれど、今回は反省して、

いい勉強になった。

「インフルエンザ予防接種」は既に受けたので、普通の風邪くらい自然治癒するでしょ、なんて

風邪をナメテいたんだと思う。

 

咳がこんなに長引くと喉も痛くなってきて辛かった。

やっぱり、風邪かな、と思ったら成るべく早く医師の診断を受けた方がいい。

 

咳でも、熱でも、だるくても、早く病院に行って下さい。

 

 

「あとは、じぶんで考えてよ」&「サヨナラ、地球さん」

2018年10月29日に、朝日新聞と読売新聞に掲載された樹木希林さんの最後のメッセージです。

 

「どう生きるか、そして、どう死ぬかに向き合った樹木希林さんの、地球の人々への最後のメッセージ。
どう生きるか、どう死ぬかについて、あらためて深く考えるきっかけになれば幸いです。」

 

と、読売新聞社の広告意図と説明されています。

 

宝島社のURLです。↓

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000758.000005069.html

 

今回は殆どが引用させて頂いた記事ですが、私としても、いつでもこのメッセージに会えるように

大切にブログの中に保管させて頂きたくて、このような形になりました。

大事なアルバムとさせて頂きます。

 

以下引用。

 

朝日新聞コピー
あとは、じぶんで考えてよ。(キャッチコピー)
絆というものを、あまり信用しないの。期待しすぎると、お互い苦しくなっちゃうから。
だいたい他人様から良く思われても、他人様はなんにもしてくれないし(笑)。
迷ったら、自分にとって楽なほうに、道を変えればいいんじゃないかしら。
演技をやるために役者を生きているんじゃなくて、人間をやるために生きているんです。
代表作?ないのよ。助演どころか、チョイ役チョイ役って渡り歩く、チョイ演女優なの。
自分は社会でなにができるか、と適性をさぐる謙虚さが、女性を綺麗にしていくと思います。
楽しむのではなくて、面白がることよ。中に入って面白がるの。面白がらなきゃやってけないもの、この世の中。
老人の跋扈(ばっこ)が、いちばん世の中を悪くすると思います。
病を悪、健康を善とするだけなら、こんなつまらない人生はないわよ。
死に向けて行う作業は、おわびですね。謝るのはお金がかからないから、ケチな私にピッタリなのよ。謝っちゃったら、すっきりするしね。
“言わなくていいこと”は、ないと思う。やっぱり言ったほうがいいのよ。
こちら希林館です。留守電とFAXだけです。なお過去の映像等の二次使用はどうぞ
使ってください。出演オファーはFAXでお願いします。
このように服を着た樹木希林は死ねばそれで終わりですが、またいろいろなきっかけや縁があれば、次は山田太郎という人間として現れるかもしれない。
えっ、わたしの話で救われる人がいる?それは依存症というものよ。

■読売新聞コピー
サヨナラ、地球さん。(キャッチコピー)
靴下でもシャツでも、最後は掃除道具として、最後まで使い切る。人間も、十分生きて自分を使い切ったと思えることが、人間冥利に尽きるんじゃないかしら。そういう意味で、がんになって死ぬのがいちばん幸せなのよ。
用意ができる。片付けして、その準備ができるのは最高だと思うの。
ひょっとしたら、この人は来年はいないかもしれないと思ったら、その人との時間は大事でしょう?そうやって考えると、がんは面白いのよ。
いまの世の中って、ひとつ問題が起きると、みんなで徹底的にやっつけるじゃない。だから怖いの。自分が当事者になることなんて、だれも考えていないんでしょうね。
日本には「水に流す」という言葉があるけど、桜の花は「水に流す」といったことを表しているなと思うの。
何もなかったように散って、また春が来ると咲き誇る。桜が毎年咲き誇るうちに、「水に流す」という考えかたを、もう一度日本人は見直すべきなんじゃないかしら。
それでは、みなさん、わたしは水に流されていなくなります。今まで、好きにさせてくれてありがとう。樹木希林、おしまい。


以上引用。

 

 

   

部活は「映画部」だった。

ジムに行った。

いつものような顔ぶれで、皆さんトレーニングに励んでいる。

ご自分のメニューがあるので、思い思いのマシンやウェイトトレーニングに向き合っている。

 

ある程度、メニューをこなすと、休憩コーナーでちょっとしたお喋りをしたりする。

近くにはバイクやウォーキングマシンもあって、その前面には大型のTVが置かれている。

 

バイクに乗りながら、ワイドショーはつまらないな、とBSの映画を観ていた。

すると、ある男性が近づいてきて、

「それ、”追憶”?」

と言う。

結構古い映画なのに、ズバリと当てた。

若き日のロバート・レッドフォードが画面の中にいた。

 

「わっ、凄いよくわかりましたね」

と、会話が続く。

 

「僕、高校の時の部活が映画部だったので、(無料)チケットが手に入って、よく観たんですよ。

今と違って、入れ替え制じゃなかったから何度も観れたしね。8ミリカメラで映画制作もしたんですよ。」

と、思いがけない話が広がっていく。

 

「そのフィルム残ってるの?」

「いや、部室にあった筈だけど、その後の事はわからない。」

「え~、誰も保存してないの?勿体ない~!」

と、続き、

「一番好きな映画は?」

とか、

スピルバーグの”太陽の帝国”(相当古い)観ました?」

などと、益々話は盛り上がる。

 

彼は今でも映画好きで、TSUTAYAでDVDを借りて観るんだと言う。

 

私は”スターチャンネル”で観まくった時期があって、映画の話は脳トレのように記憶を

引っ張り出す、作用をする。

 

まさか、こんな所で、いつもは世間話をする程度の人が映画好きだったなんて、話してみなければわからない。

ちょっとわくわくする。

 

だから、人とのお喋りは楽しい。

何が飛び出すか分からないからだ。

 

今は映画館が集まっていた地域の当時の映画館は一館を残して、シネコンに集約された。

 

そのシネコンに、彼はまだ行ってないと言う。

私は”映画館で観たい”と決めた映画は実際に行くことにしてるので、スマホ内のシネコンの画像を見せた。

    

「そうか~、近代的だね~。きれいだね。」

という感想だった。

駐車スペースが立体駐車場になり、チケットも画面タッチ式になって、直接人が関わらなくなって、勿論映画一本ずつに対して入れ替え制になっている、なんてことも話した。

 

そんなこんなの全てが楽しかった。

 

あっ、その後もトレーニングはしてきましたが・・・・。

 

それにしても、人とは話してみなければ分からないものだ。納得。

 

 

    

 

アイビーの剪定、半年振り。

28日、日曜日にしばらく手入れのできなかった「日陰を作ってくれるアイビー棚」の剪定を決行した。

この作業には”決行”という言葉が必要だ。

覚悟を決めてかからないと、心身ともに大変なのだ。

 

確か、前回もブログに書いたので、記憶を辿ってみた。

4月16日のブログだった。↓

https://ameblo.jp/kickbell/entry-12368662242.html

 

4月16日から10月28日まで約6か月が経った。

例年だと、この間に一回くらい手入れをしている筈ですが、今年はできなかった。

あまりに暑くて、枝と葉っぱがぎゅうぎゅうになっているのを横目に、もう少し、もう少しと

涼しくなるのを待って、ここまできてしまった。

 

暑いのと、その間に何回も台風が来て、24号では、アイビーの這うカーポートの屋根が被害を受けて、

とうとう6か月もの時間が経ってしまった。

被害はこちら。↓

飛んできたものがあたって砕けてしまって、一か月経つので、元気なアイビーは気持ち良さそうに

どんどん枝を伸ばして成長している。(生き生きとしてます!)

この部分の修理の見積もりは出ていて、保険会社への申請もしている。

西日本での被害が多くて、ハウスメーカーさんの修理が立て込んでいるということで、急いでいないと伝えてある。

 

アイビーはいつまでも、この方が心地良さそうですね~!

 

今回28日の剪定がこちら。↓

またまた、おもいっきり坊主に近いくらい屋根に方を剪定しました。

3時間半かけて、脚立に登ったり降りたりし、上を向いての作業でくったくたでした。

下に落とした葉っぱの山。

枯れていた葉っぱを殆ど処分できて、すっきりしました!

気になる事は、さっさと処理!に限ります。

 

家中の冬支度もこれで2週目、まだ、衣類の整理もあります。

頑張りま~す!

 

ご近所さんに、また声掛けられて、

「また、やってるね!落ちないように気をつけて!」

「まめったいね!(働き者だね、くらいの意味)」

「いつも綺麗にしてますね~!」

などと、言われ、丁度庭の柿の木をもいだので、とお裾分けを頂いてしまった。

甘くて、美味しかった。

 

疲れたけれど、気持ちは晴れ晴れ、いい一日になりました!

 

    

ハロウィーンにゾンビメイクする?

いよいよハロウィーンが近づきましたね。

ハロウィーンに何故仮装するか、特に死者と同じようなゾンビメイクなどをする理由を、

10月12日のブログに書きました。↓

https://ameblo.jp/kickbell/entry-12410948669.html

 

「仮装は悪い霊から身を守るためだった。

ハロウィンには、先祖の霊だけでなく、悪魔や魔女、さまよえる魂なども死後の世界からやってきます。人々は、

それらと同じ格好に仮装して仲間だと思わせ、身を守りました。

魔女や悪霊の仮装やメイクは、現在でも定番中の定番です。」

と、ありました。

まだ最初の頃は動物の皮に穴を開けただけのお面をかぶっていたらしいです。

そして、死者の霊をきちんと弔っているかどうか、死者の代わりになって各家を回ったのが始まりなんだそうです。

 

だから⇒ゾンビ、はちょっと飛躍しすぎかもしれないけれど、お祭り騒ぎしたい、コスプレして便乗したい、

なら、経験として試すのはいいですよね。

 

そのゾンビメイクで今活躍中の「井上智草」さんがTV番組で紹介されてました。

ハリウッド美容専門学校が最終学歴のようですが、殆ど独学のようです。

気になる方はこちら。↓

https://kosianzu.com/2018/10/27/inouetigusa/

 

こんなメイクが2時間位でできるんだそうです。

凄い技ですね!

ご本人は可愛い素敵な女性です。

 

準備期間が楽しいですよね。

ハロウィーン、楽しんでくださ~い!

 

 

   

残っていた!子供時代の風景。

何十年も経って、子供時代を過ごした場所に行くことになった。

全く初めて、というわけではないが、あちこち歩いてみようとはしなかった。

JRで3つ目の駅、車で40分位の場所だ。

 

一時電車通学したこともあって、現在の住まいの市に毎日遠い所に通っていたという意識だったのに、子供時代から一気に大人になって自分で車を運転して、目的地まで着けるということに不思議というか、物凄い量の時間の流れを感じる。

 

自分も一気に大人になったのではない、人生の節目節目を一つずつ積み重ねてここにいるのだということをひしひしと感じる。

でも、基本は、私を作ったのは確かにこの場所だという感謝のある大切な場所だ。

 

子供時代にいた場所は確かにある。

家々の形は変わって建ち替えてはあっても、表札は確かに幼馴染の家のものだ。

あの家も、この家も、あっちの家も、こんなに小さな構えの家だったのか、もっと大きな立派な「菓子店」だったのがこのお店だったんだ・・、等々。

広い道と思っていた道路が、こんなに狭かったのか、あの川は?暗渠になってしまったのか?等々、うろうろしまくった。

 

幼馴染のあの子がひょっと出てきそうな場所だ。

声が、遊んでいた歓声が聴こえてきそうな路地はあるのに、そこを出るともう広い幹線道路に繋がる整備された道路になっていて、あの駄菓子屋さんはなくなっている。

 

市役所にこんなに近い場所だったのか。

私が幼稚園から帰る時に雨傘を落としてしまった脇道添いの川も、暗渠になってこの下にあるのかな、みんな道路になって平面化してしまっている。

 

海まで、遠くない、あの家は?

まだそのままあった川添いを行くと、「あるんだ~~!」と驚いた。

三角屋根の家。

当時はあの家の裏手からもう砂浜が続いていて、台風になると、必ず波を被って床下浸水していた。

あれは、床下浸水ではなく、家全体浸水というのだろうか、そんな家だった。

 

その家が残っていた。

まさか・・・・・。

すごい生存力、頭が下がります。

どんな人が管理してきたのだろうか、大人としての考え方が出てしまいます。

 

長い時間ではなかったけれど、大事に思っていた場所がまだ、残ってくれている部分もあって、私が転居した後、どんなことがあったのだろう、どんな風に暮らしていたのだろう、と考えると、幼馴染の顔が目の前に広がって懐かしい。

 

その後出会った人は沢山いるが、思春期や成人後の私を支えたのは、あのひたすら純粋に遊びに没頭できた日々があったからだったと思う。

人間関係の基礎はこの場所で学んだ、とはっきりと言える。

 

やっぱり、会えるものなら会いたいな~、幼馴染のみんなで一緒に。

故郷?は有難きもの、としんみりと思う。

 

車で40分、時々戻ってみようかな~、当時の老舗の仕出し料理屋さんが

小奇麗なレストランもやっていてランチ美味しかったのです。

 

 

 

   

借りてきた猫?

実際に会ったことはない猫の話。

長毛のこんな感じだったと思う。

写真を見せてもらっただけで、夏になるとライオンカットにすると聞いた。


 

友人宅に、飼い主の息子さんから預けられる猫ちゃんだ。

息子さんの海外出張の為に、時々、預けられる友人宅に2週間の予定だという。

 

預かる方は緊張で、夫婦で気を使う。

 

猫はそんなこと、知ったこっちゃない。

何度も預けられて少しは慣れているはずなのに、飼い主がいないのは寂しくて、部屋の隅っこやTVの奥に入り込むらしい。

だから、猫用の座布団をあちこちに置いてあるのだという。

 

どんなにコミュニケーションを取ろうとしても、所詮飼い主以上にはなれない。

 

猫の方は、そのお宅のインターフォンが鳴る度に、急いで飼い主が帰ってきた?

と、玄関に急ぐのだという。

息子さんが帰って来るときいつも、そのピンポンの音色が鳴るので、

「お迎えがきた~!」

みたいな嬉しさで玄関に向かうのだろう。

 

なんか、その様子を聞いたら、猫の気持ちが切なくて、泣きそうになった。

 

よく「借りてきた猫」のようにおとなしいと言われるが、預けられた猫はおとなしいというより、寂しくて寂しくて、不安なんだろう。

 

そんな気持ちよく解るので、私は旅に出ても、日帰りが基本になる。

預ける時の環境を想像すると、「いつもの何でもない日常」が最高なんだろう、と

預けなくてもいい状況を成るべく守ることと、思っている。

猫の幸せファーストですね!(できる範囲で、ってことですが・・・。)