それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

残っていた!子供時代の風景。

何十年も経って、子供時代を過ごした場所に行くことになった。

全く初めて、というわけではないが、あちこち歩いてみようとはしなかった。

JRで3つ目の駅、車で40分位の場所だ。

 

一時電車通学したこともあって、現在の住まいの市に毎日遠い所に通っていたという意識だったのに、子供時代から一気に大人になって自分で車を運転して、目的地まで着けるということに不思議というか、物凄い量の時間の流れを感じる。

 

自分も一気に大人になったのではない、人生の節目節目を一つずつ積み重ねてここにいるのだということをひしひしと感じる。

でも、基本は、私を作ったのは確かにこの場所だという感謝のある大切な場所だ。

 

子供時代にいた場所は確かにある。

家々の形は変わって建ち替えてはあっても、表札は確かに幼馴染の家のものだ。

あの家も、この家も、あっちの家も、こんなに小さな構えの家だったのか、もっと大きな立派な「菓子店」だったのがこのお店だったんだ・・、等々。

広い道と思っていた道路が、こんなに狭かったのか、あの川は?暗渠になってしまったのか?等々、うろうろしまくった。

 

幼馴染のあの子がひょっと出てきそうな場所だ。

声が、遊んでいた歓声が聴こえてきそうな路地はあるのに、そこを出るともう広い幹線道路に繋がる整備された道路になっていて、あの駄菓子屋さんはなくなっている。

 

市役所にこんなに近い場所だったのか。

私が幼稚園から帰る時に雨傘を落としてしまった脇道添いの川も、暗渠になってこの下にあるのかな、みんな道路になって平面化してしまっている。

 

海まで、遠くない、あの家は?

まだそのままあった川添いを行くと、「あるんだ~~!」と驚いた。

三角屋根の家。

当時はあの家の裏手からもう砂浜が続いていて、台風になると、必ず波を被って床下浸水していた。

あれは、床下浸水ではなく、家全体浸水というのだろうか、そんな家だった。

 

その家が残っていた。

まさか・・・・・。

すごい生存力、頭が下がります。

どんな人が管理してきたのだろうか、大人としての考え方が出てしまいます。

 

長い時間ではなかったけれど、大事に思っていた場所がまだ、残ってくれている部分もあって、私が転居した後、どんなことがあったのだろう、どんな風に暮らしていたのだろう、と考えると、幼馴染の顔が目の前に広がって懐かしい。

 

その後出会った人は沢山いるが、思春期や成人後の私を支えたのは、あのひたすら純粋に遊びに没頭できた日々があったからだったと思う。

人間関係の基礎はこの場所で学んだ、とはっきりと言える。

 

やっぱり、会えるものなら会いたいな~、幼馴染のみんなで一緒に。

故郷?は有難きもの、としんみりと思う。

 

車で40分、時々戻ってみようかな~、当時の老舗の仕出し料理屋さんが

小奇麗なレストランもやっていてランチ美味しかったのです。