トマソン
またまた、「招待券があるから」と美術館の誘われた。
一瞬考えたけれど、自分の予定が他の日と入れ替え可能と判断して行くことにした。
本展は、1968年からちょうど半世紀が経過した2018年の視点から、約400点の作品や資料とともにこの興味深い時代の芸術状況を、回顧しようとする試みです。
http://spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/exhibition/detail/44
という、ちょっと頭を掠っていた展示なので、観ておこうと有難い申し出ではあった。
雑誌や洋服生地なども、「サイケ」と呼ばれたデザインのものが流行った頃の芸術状況だ。
横尾忠則さん、宇野亜喜良さん、寺山修二さん、福田繁雄さん、落合恵子さんなど、今でもその活躍は伝わってくる。
(亡くなっている方もおられるが)
そんな中でトリックアートの作者の吉田益信さんと赤瀬川原平さんが気になった。
吉田さんのは、トリックとの説明はないが、面の続き方が気になって何度も近づいてしまってスタッフの方に注意されてしまった程だ。失礼しました。
他の作品も近くで観れて興味深かった。
そして、嬉しかったのが赤瀬川原平の作品に沢山会えたことだ。
トマソンの語源は、プロ野球・読売ジャイアンツ元選手のゲーリー・トマソンに由来。 トマソンは、元大リーガーとして移籍後1年目はそこそこの活躍を見せたものの、2年目は全くの不発でありながら四番打者の位置に据えられ続けた。その、空振りを見せるために四番に据えられ続けているかの様な姿が、ちょうど「不動産に付着して(あたかも芸術のように)美しく保存された無用の長物」という概念を指し示すのにぴったりだったため、名称として採用された。
彼とトマソンの説明はこちら。↓
https://matome.naver.jp/odai/2135801747071902601
そうなのだ、無用の長物を芸術だと思う気持ちと、当時コレクションしていた赤瀬川原平さんの
ことを知ったのは、もっと遅くなってからだと思うが、探してみれば「?」という不動産はあるだろう
とワクワクしたのを覚えている。
だから今回の展示物の中に、それとは違った前衛芸術家としての彼の作品に沢山触れられて大収穫だったのです。
結局のところ、実際の作品は初めてでした。
何か彼の様に物事捉えると毎日が楽しみになってくるんです。
追伸:
この記事は2019/03/11に書きました。
東日本大震災発生8年が経ちました。
犠牲者追悼記念式典の出席者の方々と一緒に、自宅にて黙とうを捧げました。
私も、あの日のことは遠方からですが、リアルタイムで記憶しています。
犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。
ワンタイムパスワード。
2018/03/29のブログに書いた記事「インターネット銀行のその後」がある。
https://ameblo.jp/kickbell/entry-12363920831.html
結局、その後同銀行でもダイレクトバンキング専用の口座にしたものと、
他銀行でも、出入が頻繁な口座をダイレクトバンキング専用にしたものとで、
3口座がスマホやパソコンを使って出入履歴などを確認できるようになった。
それぞれの利用法で便利にはなった。
ただ、ワンタイムパスワードだけは少々面倒臭さがある。
銀行によってはピン番号を登録すれば4桁の番号でログインできるが、
ワンタイムパスワードでしかログインできない銀行もある。
口座の出入状況、残高、明細、振り込みなどを確認するために、小さいスマホの画面
でログインID、ログインパスワード、それとワンタイムパスワードを入力しなければならないのだ。
そのワンタイムパスワードは一定時間でどんどん変わっていくので、先ず、ワンタイムパスワードを
コピーしておくことから始まって、ID、パスワードはメモを見るか、記憶しておかなければならない。
いちいちコピペしている内に、ワンタイムパスワードは変わってしまう。
PCの画面ならコピペもチャチャッとできるかもしれないが、スマホの画面では難しい。
(スマホ操作に長けた方はサササ~、とできるんでしょうが)
ということで、どうしても、ワンタイムパスワードを使う口座にはログインする回数が減っていく。
実際に、出金する時に通帳記入するだけのことだからいいか~、となってしまう。
それでも、久々にログインしたら、
「ログインパスワードを変更した方がいいので変更しますか」
と、表示されてしまった。
「そうなんだよな~、パスワードはどんどん変更したほうがいいんだよな~。」
とわかってはいるけれど、もう、パスワードを考えるだけでも面倒になってくる。
PCやスマホは「慣れ」だとはわかっているけれど、今までにいくつパスワードを作ったことか。
この、ネットバンキングも、慣れなんでしょう。
4月分からのジムの会費納入方法が統一されることになって、ダイレクトバンキングの手続きが
必要になって、窓口に出向いた方が嘆いていた。
郵便で届いていた用紙を持っていったら、その場でスマホで初回利用登録する羽目になって、
その場で3個のパスワードが必要になって、とんでもなく苦労したと。
勿論フロアーには若手の行員がいて操作をお手伝いしてくれるが、途中で他の方法で
振り込みできないものかと思ったそうだ。
「初回利用登録をスマホでなんてとてもできない話ですよ~」
と、私は返した。
実際、PCでも
「どのパスワード?どういう意味?」
とか本当に苦戦しましたもの。
でも、もう、そういう時代なんだから、そのうち通帳なんてものもなくなって、全てがネット移行
されるようになるのでしょう。
こういうスピードって、まだまだ先のことなんて言ってられないんじゃないかと思う。
PCネイティブ、スマホネイティブなんていう生まれながらにネット社会にいる世代とは
違う、一つ一つ導入し、慣れていかなくてはならない世代の者たちは大変なんですが
立ち止まっていたらもっと大変になるのだから頑張るしかないですね!
便利と言えば便利ですが、犯罪も起きているのも現実なので、一応こちらに↓貼っておきます。
https://direct.bk.mufg.jp/secure/otp/index.html
ざわざわし始めた。
今年もまた、ボディビル連盟の大会出場者の申し込み結果が貼り出された。
会員の方はそれぞれ目的があって、大会も日付も場所もクラス別も違う。
とは言え、5月位から8月、9月とそれぞれが目標設定する。
8月に向かって、既に体重管理、ダイエットを始める人が出始めているのだ。
出場を目的としない、健康管理のためにジムを利用している私のような者にとっては、
インストラクターと話す内容が聴こえてくるので、
「ダイエット難しそう・・・。」
と、とても出場など考えてもみないが、2015年から開設したジムが口コミで、どんどん
会員が増え、3年目の昨年は連盟加盟のジムからの出場を目指す人が一気に増えた
ように思った。
(現在は入会待ちを実施していると聞く。)
そして、出場者の真剣な取り組み方を身近に感じ、彼等の体型が見違えるように
変化を遂げる姿を目の当たりにした。
見たことのない世界だった。
それが、今年も徐々にではあるが始まっているようなのだ。
「出場申し込み」は「有言実行」の第一歩なのだ。
笑顔で歓談してたりする出場者は、このジム内で既にライバルなのだ。
ライバルの仕上がりが見て取れる場所で自分との闘いを始めるのだ。
種目は何であっても、競技に出場するってこういうことなんだと改めて思う。
だから、今更にして思う。
オリンピックで金メダルって、改めて超人なんだと。
全てはこういう場所から始まるんだ。
私も、良い刺激を受けたいものだと思う。
この気弱な旦那は誰?
別にCMを見よ~!と待っているわけではないのに、ついついCMが目に入るってありますよね。
大和ハウスのD-RoomのCMの気弱な旦那はメガネをかけていたり、緑亀になっていたりで、
主婦役の上野樹里さんの隣にいるんだけど、俳優さんが誰だか分からなかった。
現在のCMの最後のシーンが、防犯グッズのプロテクターを
「しまっておこう?」
「うん」
と、頷くシーンで、夫婦共、とっても可愛かった。
そうなると、このCMの俳優が益々気になってきた。
もう、調べてはっきりさせようと調べた。
何となく、声で、もしかしたらあの人?と勘が働いて、当たりかな~?という気持ちもあった。
(暇ですね~、と言われそう)
とに角はっきりさせたかった。
以前から、どうも旦那役の顔がはっきりする映像ではないけど、これも戦略?と思っていた。
やっぱり、「中村倫也」さんだった!
当たりだ!
そうして観ると、これを最初から彼だとは思えないシテュエイションばかりだから、
却って、私のように気にする視聴者っているんじゃないかと、CM製作者側の意図?も
勘ぐってしまったのだ。
「やりますね~、ダイワハウスさん!」という気分です。
今、話題の取れる「中村倫也」さんを隠し気味に出すって中々しないですもの。
次はどんなシテュエイションなのかな?楽しみに観ることにしますね!
彼の詳細はこちらで。↓
https://tv-rider.jp/column/2804
みんながみんな同じだったら・・。
昔、ある所に村があった。
稲作や椎茸栽培などで生計を立てていたとする。
ある時、今まで見たこともないキノコが見つかった。
新種が見つかったと、村の衆は喜んだ。
さあ、食べてみよう、どんな味かな?とみんなは興味深々だ。
とに角新しいもの好きな一人はどんどん食べようとした。
しかし、どちらかというと慎重派の一人は食べると何か起こるかもしれないと食べないでいた。
結果、毒キノコだった場合は「前向き」なポジティブな人は死ぬかもしれない。
いや、死んだとしよう。
一方、そんなに「前向きでない」、何でも様子をみながら、人の後について行くような、
どちらかと言うと、ネガティブな人は、今回は命拾いするだろう。
しかし、事は津波が来たとしよう。
前者はどんどん決断して早目に高台に逃げる。
後者はどうするか。
逃げることを躊躇したり、考えがまとまらない内に津波に巻き込まれるかもしれない。
もし、これらのことが村で起き、前者も後者もなく、みんなが全く一緒の考え方をしていたら、
どちらも、村全員が全滅してしまう、あるいは、しまったかもしれない。
いろんな集落が残ってきて、現代まで続いているということは、その規模の大小はあっても
そこに暮らす人々が、みんな一緒の思考や行動を取らず、それぞれが違っていたからではないか。
人はみんなそれぞれが違うから、村は存続し、郡、県、国と規模の違いはあっても、
絶滅することなく保持出来ているんだ、と考えた。
世の中には、いろんな人がいる。
みんなポジティブだったら?
みんなネガティブだったら?
最初の「昔、ある所に村があった。」村は絶滅しているだろう。
だから、みんながみんな同じではない、ということは神様の作られた仕組みではないか、とそんな事を、友人と喋ったりした。
来てね!
「〇〇の書道展」とか、「〇〇主催のコンサート」など、お誘いを受ける。
「コンサート」に関しては、前日に連絡が取れたので、
「明日だけど、いらっしゃらない?内容は云々で、場所は云々なんだけど・・・。」
と、不在着信に気づかなかった私に責任があったから、とにかく生演奏ということに
惹かれて、
「子供から大人まで楽しんでもらえる映画音楽からアニソンまで」を想像したら、
素敵な時間を過ごせるのに、家でのんびりしている場合じゃない!とOKの返事をした。
2019/03/02(土)の夕方電話で話し、コンサートは次の日、日曜日だ。
会場は初めて足を運ぶ場所で、スマホでナビ検索して行くしかない。
でも、OKした。自宅から40分程だ。
誘って下さるご夫婦は奥様が私の同級生で、ご夫婦共にクラシック音楽を学んで
プロ活動をされている。
私は全くの門外漢なので、お誘いされる度に、
「喜んで~!」
と、違う世界を覗く楽しみで、くっついていく。
舞台裏に連れて行かれたことや、楽器を持って出入りする演奏家の方々の様子を
身近で、緊張して拝見したり、と中々普段では見られない場所も拝見させてもらったりした。
今回は生演奏だ。
アコースティックという意味らしい。
「ピアノやフォーク・ギターなど、電気を使わない楽器をアコースティックな楽器と呼び、それ等で演奏されるサウンドをアコースティック・サウンドという。」
とネット検索説明されていた。
チェロ、バイオリン、フルート、オーボエ、ドラム。
ピアノは会場によって音が変わるので、(違う?)のでエレクトーンと電子ピアノを
使われるという活動の内容だ。
最後に、シャンソンを主に歌われるという歌手も加わって、会場は一つになった。
舞台と客席の距離も近く、それぞれの音がよく聴こえて、生演奏の良さを味わえた。
ナビ検索して行った甲斐のあったコンサートで、演奏とともにMCを務めた
ご主人のくだけた話術も巧で、リラックスした時間を頂いた。
たまには、知らない、未知の場所に行ってみると決断し、走って、無事到着の
達成感と、生演奏の迫力に、大満足の日曜日になったのです。
コンサート終了後、子供たちにひな祭りプレゼント。
一方、書道展も、お誘いして下さった方も出展してるということで、「その人を知る」
という意気込みで伺った。
普段ジムでのお付き合いとは違った面を、たまたまお喋りの中で知って、お葉書を
下さったという縁、これを生かさないでど~する?とOPENの次の日に伺った。
本当にいろんな分野で自身を生かして、努力されている方々がおられることを
再認識させられたのです。
額装された作品の裏話を聞いてあったりすると、観方にも親しみが湧いて、
作者の方を想像して、鑑賞できました。
誘われたら、チャンスがあったら「乗る!」というスタンスを大事にしてきたので、
フットワーク軽く、どこへでも、と言いたいけれど、成るべくどこへでも出かけて
行きたいと思っています。
PS:
私のその「乗る!」に乗ってみたら「アンデス山脈トレッキングに行けちゃった~!」
と、大喜びでその結果を報告してくれた友人がいます。
勿論、其の後はそのスタンスで生きてますと時々連絡をくれます。
「まずい!」と思ったこと。
「まずい!」と思った。
大型スーパーの駐車場に入った。
「ん?いつもと様子が違うぞ?」
と、空きスペースがないフロアーでスペースを探す。
カートに買い物の荷物を入れたままで、エレベーターを使って車に戻る方法が
いつものスタイルとなっている。
しかし、今回はいつものスペースが一杯だ。
何かイベントがあるのか、とに角空きを見つけて、何とか駐車したので、
帰りは車の位置を把握しておく必要があると思って、食料品の階に降りた。
今回は、エスカレーターを使って降りた。
さて、帰りの段になって、来た時と逆にエスカレーターを乗ることになる。
そして、記憶していた表示の場所に行こうとしたが、すんなりとはいかず、ちょっと考える。
いつもの場所だとしたら、何も考えないで、その場所に行ける。
しかし、一旦、考えた。
エスカレーター使用なので、買い物の量を増やさなかったのは正解だった。
手に持って、場所に着く。
さて、出口に向かう時も、いつもと違う。
距離も多少違うし、左右を確かめる場所も違う。
そうしている自分に、気づいたことがあった。
いつも同じ事をしているって、「脳」を使わなくなるんじゃないか、と。
いつもと違うことをするって、新しいことをする時と同様、いろんな要素があって、それに対して
考えている筈だ。
だから、物理的に合理的な距離や場所を選んであって、それに添ってパターン通りの
行動をしていて、殆ど考えずに行動していたのではないか、と思ったのだ。
それはそれで、練られたパターンだと思うが、それでよかったのかと、独り苦笑したのだ。
「脳」を使おう!働らかせよう!」と。
日常の中で「いつもと同じこと」ばかりしていないで、違う道を通るとか、初めてのお店で
買い物してみる、とかいろいろ変化させて、
「面倒くさいなあ」
なんて「脳」に思わせないような、「初めてが嬉しい!」と「脳」が喜ぶような生活をしようと思ったのだ。
「脳」に楽させていたことを「まずい!」と思ったのだ。