昔、ある所に村があった。
稲作や椎茸栽培などで生計を立てていたとする。
ある時、今まで見たこともないキノコが見つかった。
新種が見つかったと、村の衆は喜んだ。
さあ、食べてみよう、どんな味かな?とみんなは興味深々だ。
とに角新しいもの好きな一人はどんどん食べようとした。
しかし、どちらかというと慎重派の一人は食べると何か起こるかもしれないと食べないでいた。
結果、毒キノコだった場合は「前向き」なポジティブな人は死ぬかもしれない。
いや、死んだとしよう。
一方、そんなに「前向きでない」、何でも様子をみながら、人の後について行くような、
どちらかと言うと、ネガティブな人は、今回は命拾いするだろう。
しかし、事は津波が来たとしよう。
前者はどんどん決断して早目に高台に逃げる。
後者はどうするか。
逃げることを躊躇したり、考えがまとまらない内に津波に巻き込まれるかもしれない。
もし、これらのことが村で起き、前者も後者もなく、みんなが全く一緒の考え方をしていたら、
どちらも、村全員が全滅してしまう、あるいは、しまったかもしれない。
いろんな集落が残ってきて、現代まで続いているということは、その規模の大小はあっても
そこに暮らす人々が、みんな一緒の思考や行動を取らず、それぞれが違っていたからではないか。
人はみんなそれぞれが違うから、村は存続し、郡、県、国と規模の違いはあっても、
絶滅することなく保持出来ているんだ、と考えた。
世の中には、いろんな人がいる。
みんなポジティブだったら?
みんなネガティブだったら?
最初の「昔、ある所に村があった。」村は絶滅しているだろう。
だから、みんながみんな同じではない、ということは神様の作られた仕組みではないか、とそんな事を、友人と喋ったりした。