”フランスのニュースに出た日本。”と藍染。
”☆白バラの祈り・ゾフィー・ショル最期の日々(2005) 独”
映画のブログのリブログです。
「ゆうべ見た映画」というタイトルです。
筆者さんは、ジャスミン真理子さん。
大好きなブログです。
以下引用
「 白バラの祈り・ゾフィー・ショル最期の日々 (2005) 独
1943年のミュンヘン。
ミュンヘンの大学生たちで 組織されていた
実在した反ナチ運動グループ 「白バラ」の最期を描いた作品です。」
と、言う説明だった。
ブログを見ることがなかったら、かすることも、知ることも無いだろうという映画が次々に
紹介されるブログです。
全体を読んだ後は、映画を見終わったような充実感で一杯になります。
「本当に重いです。」
と、言ってしまっていいのかと思われる程感じるものがある。
と、いうよりあの時代でなかったら実在した彼等は、もっともっと生きられた筈の人達です。
1943年に21歳→2020年94歳。
生存は可能です。
ただ、映画で取り上げられた彼等の他に数千人が死刑となっている。
大学構内で逮捕され、取り調べされ、長い尋問があり、裁判が始まり、死刑が確定され、
わずか5日後に死刑執行。
以下引用
「でもこの映画のラストシーンは
そんな 暗く冷酷な印象とは
また違った感情を 観る者に抱かせて終わります。
真っ暗な画面の後には
綺麗な歌声と共に セピア色の写真が次々に映し出されます。
溌溂と若い顔、笑っている顔、 憂い顔・・・
ゾフィー・ショル、本人の写真です。
捕らわれた「白バラ」のメンバーのうち
最初に処刑された唯一の女性 21歳でした。
この年のベルリン国際映画賞・金熊賞
監督賞、主演女優賞を受賞しました。」
と、括られていました。
やり切れない思いで終わるよりは救われるかもしれないが、写真でみる21歳の溌剌とした
ゾフィーの映像はもっと時代のやり切れなさを感じさせるものになっている。
”生き延びる”って何だろう?と思ってしまう・・・・。
そして、
この映画を知って、いや、過去のことではないぞ、と思ったのだ。
今、香港で起きている事態に対して活動学生が、女子学生が、当局に拘束されたりしている。
日本の人達も知っていて欲しいと訴えていた活動家たちだ。
この事実にしっかり目を向けていたいと思うのだ。
オランウータンのジャングルスクール。
NHKBSP、2020/11/14放送。
「インドネシア、カリマンタン島にある、世界最大のオランウータンのリハビリテーション施設。
生息地を追われたり、ペットとして不法に飼育されたりしているオランウータンを保護し、
野生に返す上必要な訓練を行っている。
ユニークな森の学校で親と離れ離れになったオランウータンたちに密着し、困難に打ち勝つ
姿、野生の森で自由に生きていくことを目指し、ときめきや葛藤を経験しながら成長していく様子を描くドキュメンタリー。」
と、説明されている。
私が観ることができたのは、
「第7回 感染症の恐怖」の回だったようだ。
2019年8月19日に放送された再放送だった。
以前にも興味深く観たけれど、きちんと回を追って観ているのではないので詳しい説明はできない。
1歳未満の子供達を一輪車に3頭位ずつに分けて学校に運ぶ光景や、
2~3歳のクラスや、もうじき卒業というクラスの様子など観ることができる。
こういう施設のあるインドネシアの取り組みを素晴らしいものだと思う。
もしかしたら日本にも公立の保護動物の施設があるのかもしれないけれど、
知るに至っていないので分かりません。
私は、人間に近いオランウータンたちを見て、オランウータンが教育されているのか、
人間が祖先に近いオランウータンから逆に教えられているのかどっちなんだろうと思ってしまった。
オランウータンだって自然のままにしておいたら命を落とす子達もいる筈だ。
実際に、骨折したり、失明したり、両腕を失くしたりした上でも頑張って生きようとしている子もいる。
そういう身体的な保護は勿論だけれど、生育時期ごとに必要なことをオランウータン同士
で触れ合うことで、学習させているのが、却って人間の場合は?と考えるきっかけになった。
森で生活できるようになるために、親の生き方を学び、自立するまでが本来の学習なのだ。
その内のどこかが失われた時、こうした人間の保護が必要なのだ。
同世代で遊びながらお互いの関係を学ぶ姿、
生活する為に必要な木登り、
餌を取る方法、
子育ての方法、
など、自立までに学ぶことはオランウータンの世界で学ぶ。
元々、人間のようにどこでも生きていける動物でないからこそ保護が必要なのだろうが、
人間は、オランウータンの学校を作っているが、そこで教えるよりも教えられることの方が
多いのではないかと思うのだ。
餌を独り占めする卒業間近のグループの長老?や、それに上手く取り入るオランウータンも
いるし、2~3歳のクラスにいても、スキルが高すぎて他の子達に怪我をさせてしまう子もいる。
こんなことは拡大すれば、人間社会にもあることだろう。
このシリーズはオランウータンを見つめながら私達の社会を見つめているものだと思った。
あどけない瞳、無邪気に遊ぶ姿、怪我や病気に耐える様子、興味深いが人間社会に繋がって見える。
””きた〜!猫お布団に入る。””が徐々に変化!
猫がお布団に入ってきてくれない~~~!
と、寂しがって記事にしてました。
ところが、その後ポツポツと短時間だけれども、2回程入ってきたんです。
就寝時間になって、もうベランダは寒いのに、私が自室に行った頃に2階に上がってきて
そのままベランダの様子を観察し終わってから、
「あっ、もう寝るの?僕もベッドに行くよ」
と、上がってきて暫くすると、お布団の襟元の方に上がってきた。
「えっ!?そのまま入って来るの?入りたいの?」
と、静止して様子を伺っていると、
「入って来た~~~~!」。
昨年の冬のように、当たり前のように私の脇にぴったりと寄って、
「ゴロゴロ、ゴロゴロ、・・・・・。」
が始まった。
「う、嬉しい。これ、これ、こうしてお布団の中で猫を撫でる飼い主冥利!」
と、内心思いながらあまり表面に出さないで味わっていた。
ブログに書いたことが伝わったのかな~?
なんて有頂天になっていたら、モゾモゾと起き上がって、ストンとベッドから降りて、
階下に行ってしまいました。
「う~~ん、短かかったな~!」
とは思ったけれど、一瞬の出来事で、まだこれからだよねと自分に言い聞かせて、
今冬の猫と一緒に寝る時間を楽しみにしている。
きっと、もっと寒くなれば来るんだろうな~、と期待大の晩秋風景でした。
”Team HOPE健康診断2020/がっくん”と我が家の猫検診。
スタンダードプードルのがっくん(3歳白)が健康診断したというブログのリブログです。
リブログしよう、と思ったのは我が家の猫(♂満18歳と2か月)も2020/11/09に今年分のワクチンを打ってきたからです。
それと、高齢なので、定期的に血液検査して慢性腎臓病の数値の内容の説明も受けてきます。
身体全体の状態を調べ、体重の増減などとの関わりをチェックしてもらいます。
今の所食欲もあり、体重は増えていたので褒められました。
ただ、高齢に伴い爪が太くなるという現象が起きます。
若い時は爪研ぎでよく研ぐし、新陳代謝も盛んでどんどん薄く剥がれていくそうですが、
爪とぎの跡を見てもあまり研いだ痕跡がなくなってきています。
放っておくと”巻爪”になり肉球に食い込んでしまうそうです。
それを防ぐにはやはり状態をよく観察してあげることが必要のようです。
それで、爪切りをお願いしました。
先回もやって頂いたので、今回も切った先を焼いて保護するということをしました。
まあ、こうなってしまうと”まな板の上の鯉”状態ですが、おとなしくされるがままです。
私はずっと付き添って声掛け、摩り安心させます。
治療が全て済むとお役御免となってケージに入って帰りを待ちます。
ケージに入れる時は病院行を察知されないように直前にサッと入れるのですが、
治療終了!となると自分からサッとケージに入っていきます。
いつものことですが、先生とスタッフさんに、
「帰りは入るの早いな~!」
と、笑われてしまいます。( ´艸`)
「もう、何もしないでね!」
というような感じです。
がっくんも病院嫌いのようですが、抱っこされてレントゲン室に入っていく姿など、
家族も一緒だし、スタッフの事も信頼してるのでしょう、運ばれるがままですね。
可愛い・・・。
室内で飼っている以上病気の早期発見は、家族ですから、できるだけのことをしたいと思っています。
お世話猫、タワーを降りた!
お釣りの概念が育たない。
車で移動する時はFM放送を聴くことが多い。
いつものパーソナリティーのMCで、話題を聴くともなしに聴いていた。
その中で気になったことがあった。
主に小学生対象だったようだが、
「お釣りの概念が育たない。」
と、いうことだった。
現金よりも電子決済が多くなったことで、目の前で現金を使うことが減ったためだという。
成程、有り得ることかもしれないと納得した。
例えば、一万円で何が買えるだろうか?
とか、
十円で買える物は?
とか、
百円で、千円で何が買えるか?
ということが想像しにくくなると言う。
お財布の中を想像して、お釣りの小銭が増えないようにお釣りを工夫するということもある。
546円の買い物をして千円でお釣りをと、いうことは当たり前にするかもしれない。
が、千円と50円を用意したり、千円と51円を用意すれば少しは小銭の数を減らせることを
考えたりしないだろうか?
そんな面倒臭い事なんてと言う人もいるだろうが、私は成るべく数を減らせることを考える。
電子決済で数字だけのやり取りになるとそういう現実的なことも考えないで済んでしまう。
学校で算数の勉強をして、それを現実の世界で使いこなして概念が出来て行くのだと言われているそうだ。
それが育たない小学生が増えているのだという話題だった。
そうか~、私達は10円持って、50円持って、駄菓子屋さんに行き、
「今日は、あれとあれが買える!」
なんてワクワクして行ったものだ。
だから、おまけが当たった時の嬉しさは50円をもらったような気分になったものだ。
今は、駄菓子屋さんが無ければ、親と一緒にスーパーの買い物の一部になっての買い物だ。
50円玉、100円玉を握りしめてのお小遣いは
「お釣り」や「相対的な物の価値」を現場で見るという勉強を、訓練をしていたのだ。
そう言えば、何処かの宮家の姉妹は学園祭などでお釣りの計算ができなかったと、
読んだことがある。
(買い物を自分でして、お釣りが正しかったか、なんて普段の生活の中でないのでしょうね。
お釣りの概念は育つわけないか・・・。それとも算数が〇▽□?)
お金の管理だとか、お釣りの概念って普段の生活の中で育つんですね。
現金握りしめて買い物したのが訓練だったんだ。