それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

一年前の加地さん。

1年前の今日あなたが書いた記事があります

加地亮さん ミヤネ屋 生出演。

 

という記事を一年前に書いていたと表示され、懐かしかった。

2006年当時の加地さんはカッコよかった。

2017年限りで現役引退した元日本代表・加地亮(かじ あきら)なのだ。

 

 

ガンバ大阪サイドバック

守備から攻撃に切り替わると右サイドを相手のゴールまで駆け上がる。

とに角試合中に走る走る。

 

私はサッカーも野球もそんなに興味は無かった。

球技をやるのは嫌いではなかったが、何だろう、ずっと観ていられない性分だったのかもしれない。

 

それなのに、加地亮という選手に出会って、何てカッコいいんだろうとガンバの試合が気になった。

地域だから応援でもない、縁も所縁もないのに、加地さんの試合を観たかったのだ。

 

それから13年。

彼もアメリカのチームに移ったとかの風の便りを聞いてはいたが、去年突然TVに現れた。

 

 

最近はこんな感じ。

変わらずカッコいい。

「CAZI CAFE」の主らしい。

 

https://twitter.com/cazi21_mr12

加地さんのtwitter

 

動画の中の加地さんも見れるし、何てったって最近の様子にすぐアクセスできる。

当時は、ドイツでの様子などはTVのスポーツ番組かニュースでしか知り得なかった。

 

あれから13年か、26歳だった加地さん、39歳ですって!

ガンバでは遠藤選手とよく一緒にメディアに取り上げられていた。

 

それが、時代が変わって、twitterですものね。

もう、日本代表でのプレッシャーもなく、穏やかにご自分の生活を楽しんでらっしゃるようです。

 

でも、やっぱり現役時代の試合に臨んでいた加地さんはかっこよかった!

 

 

定例の食事会。

早いような、待ち遠しいような、月に一回の食事会がやってきた。

メンバーは楽しみにしている。

 

お店は変わらない、いつものお店。

曜日も不都合の無い限り月曜日として予約している。

 

お店の付近の商店街も、最近の全国の状況とご多聞に漏れず、静かなものだ。

シャッターまで閉っていなくても、店内は休業状態のようなお店もある。

 

しかし、お店はあるが、そんなに忙しそうでもなく、かと言って潰れてしまう程でもなく

何とか(失礼!)やっていかれてるようにお見受けする。

 

宝石店あり、結構高価な値段の付いたブティックありと、私達にはウィンドーショッピング

するには嬉しいお店もあったりして、予約時間までの間、お店を覗くのも楽しみの一つになっている。

 

その中で、ワンマイルウェアーや雑貨を売るお店を見るのが楽しい。

あってもいいかな~、くらいの軽い気持ちで買い物できるので、夏の日の簡単お出かけ着など

が値下げしてあったりするとつい買ってしまうメンバーなのです。

 

そして「本日の目に言う」より、「北海道の蛸のガレットにんにく醤油バターソース」。

蛸の食感が美味しかった。

 

 

食後はお茶の時間。

静かなCafeに場所を移して、溜まったお喋りが続きました。

 

涼し気で、飲んでも爽やかライムジュースで。

 

 

旧友とライン繋がる。

「やっと繋がったね!」

が、お互いの思いだった。

 

 

相手の彼女がまだ子供さんがいない時期のお付き合いだった。

それが、いまや、中学生と高校生の男女の母となっている。

 

ずっと、年賀状が行き来していただけの状態だった。

彼女とはPCの講習で一緒になって以来、毎日お昼の時間、総勢8人程の気の合う仲間で

お喋りしたりして楽しく過ごした。

 

全く何も知識の無かったPCを学ぶ時、彼女たちは若かったから私よりも知識はあったと思う。

私といったら「コピペ」の知識さえなかった。

でも、その中の誰もが同期意識だったのか、本当に和気あいあいと学ぶ毎日だった。

イラストレーター」での作画や、CDへの印刷レ-ベル、その時に覚えたことは、その後の私のPCに向き合う

姿勢を変えた、本当に重要な時期となった。

 

皆前向きで、センスがよかった。

その中の一人が今回の彼女なのだ。

 

講座が終了しても別れ難くて、美術館で集まったりしたこともある。

しかし、その後は出産したり、子供が増えたり、結婚したりと、彼女たちは様々な人生周期に入っていった。

 

なので、年賀状の行き来だけになっていたが、たまたま、お嬢さんが私のイラストの葉書が気に入っていて

額に入れて飾っていると知り、私は嬉しくて、葉書になっているイラストで送れる限りのものを送ったのだ。

 

それに対しての手紙の返信があり、Lineで繋がることになったのだ。

 

お互いにSMSでの連絡をし合い、Lineの状況確認をしながら、繋げることができた。

勿論直接の電話もしながらだったので、本当に懐かしく、LIneでのやりとりも彼女らしく、

楽しいスタンプも紹介されて、多分PC関係でも素敵な年賀状を作っているので、

お仕事されているかもしれないと憶測している。

想像するだけでも楽しいので、やっぱり一緒に学んだ仲間っていいなと思った出来事でした。

 

 

 

何故か、この時期カーテンを洗う。

発端は、レースカーテンの一部を踏んでしまったことでフックを支える部分が少し解れてしまったことによる。

ベランダに出入りする時に風があってヒラヒラしていたのに不用意に中途半端に開け閉めしていたからだ。

暫くの間は、見て見ぬ振りを決め、時々摘まんで、ピンで抑えたりしていた。

 

でも、解れていることに変わりはなく、修理しなくちゃといつも気になっていた。

その部分だけがだらしなく見えるのだ。

 

「ああ、もう全部はずして、ついでに洗濯して繕い直そう!」と決めた。

レースカーテンは模様の無いシンプルなもので統一してある。

だから、どこのインテリアショップでもあるだろうと、一間分だけ新しいのを足しておこうかと考えた。

 

話が飛んでしまいますが、このシンプルなカーテンに惹かれた理由がある。

 

 

もう昔の話なのだが、他の国で知り合ったフランス人のお宅にホームステイしたことがある。

当地で、普段の生活の中で散歩していると、日曜日の昼時に庭で食事しているような、食器の音がしていた。

ちょっと振り返るとプレーンなレースのカーテンがふんわりと揺れていた。

ヨーロッパの国って一般家庭のカーテンはレース一枚で夜になっても家の中が見えることを構わない

ような使い方をしているようだ。

 

旅で、オランダのアムステルダムの運河を夜のクルージングした折など、その両岸の家が全て舞台のように

素敵な照明で照らされていて、カーテンで閉め切らない生活、それも夫々のインテリアまでが個性的

で、敢えて見せることに気を配っている様に見えた。

「何て素敵なんだろう・・・。」

と虜になったのを覚えていて、それ以来、照明とインテリアの重要さを認識することになった。

 

帰国してから、家中の蛍光灯の照明を辞めて、白熱球を使ったペンダントライトのシェード付きの

照明を探し回り、替えた経緯がある。

当時の旧家に付けたものだが、移転新築時に大事に再付け替えして使っている。

 

 

話を元に戻すと、だから、部屋のカーテンそれ自体は目立たせないで壁と一体化をするようにした。

だから、レースカーテンに自己主張はない。

 

家全体のレースカーテンが同一だということが役立ったのだ。

一間用2枚のカーテン×4か所、これをローテーションを変えて、道路に面していない場所、それもあまり

開閉の頻度が少ない痛みの少ない場所のものから洗って乾かし、一目につきやすい、はずしておけない

場所に移動し、吊るす。

外したものを洗濯、乾かし、次の物を外し、洗濯する。

丁度、風があった日だったので、薄いレースはすぐに乾いた。

これを繰り返えしたのだ。18日、19日の二日間の空いた時間帯を利用した。

その間には繕いが必要な箇所は修繕した。

 

そんなことを繰り返していたのに、何故か全く苦と思わなくて、丈の短い物も入れて、

5か所のカーテンを洗い上げてしまった。合計10枚だ。

 

一か所分は新品を揃えたので、一か所分の予備が増えたことになる。

その予備があることで、どこかに不備が生じたら、ローテーションを考えれば、いつでもそれを吊るし、

修理なり洗濯をすることが可能だ。

 

実を言えば、最初は「ローテーション替え」に気づかなかった。

しかし、途中で、

「同じなんだから、どこに使っても変わりないんだよ。」

と、気づき、次、次、と何となく汚れているカーテンをはぎ取り、洗濯、が楽しくなってしまった。

 

まだ、レースの2か所に目を付けている。

いずれ、はぎ取られ、洗濯の道に連れて行かれることは目に見えている。

 

つでに、カーテンレールの周囲の汚れも拭いて、柔らかくなったカーテンにすりすりしたい気分なのだ。

 

目に付いた気になることはサッサと解決するに限る、と悟った「カーテンを洗う」の顛末でした。

  

「月」

月が奇麗だった。

2019/06/19 満月のように輝いていた。

 

 

あまりに明るい夜だったので記録しておきたくなった。

 

日々、忙しく過ごし、

「ああ、今日も無事終わるな~。」

と、ベランダから夜空を見上げる。

 

日々の予定をこなし、ブログの記事のことも頭を巡り、なんてことを繰り返していると、

記事も自然に帰りたくなる。

 

適度にすることといったら、やっぱり空を仰ぐ。

朝焼け雲、真っ青な空に飛行機雲、夕焼け雲も多様だ。

そしてこんな静かな月、そんな様子を眺めるとほっとする。

 

「今を肯定して生きればいい」byタモリ。

「お笑いビッグ3」タモリだけがうまく生きている「これだけの理由」

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51131

2017/03/12の記事なんですが、古さを感じない。

 

 

いつも飄々として楽しそう。でも正直、何を考えているのかよく分からない。

すべてをさらけださない。いつの間にかお笑いという枠からも外れて、独自の道を歩く。

そんなタモリがうらやましい。

 

好きなことだけやる

常識的だから常識を壊せる

いい意味で適当

ネチネチもくよくよもしない

あくまで「自然体」で生きる

 

上記引用。

 

最近、の世の中のモヤモヤした空気にすっきりしないものを感じていた。

国民の一人として皇室の会見など、何が真実なのかさっぱりわからない。

警察・検察庁の不備には驚くばかりだし、それらを振り回す人間がいること自体が、

これが日本の現状なのかと不安になる。

 

国民性として声を上げないんですよね。

デモなんか滅多にない。

 

そんな中で「いい意味で適当」なタモリさんの記事だった。

何か、

「なるようにしかならないこと」に思いを巡らすこともないってタモリさんなら言ってそう。

「で、何やりたいの?面白そうな事見つかった?」

なんて言われそう。

 

私ね、

「イライラした時はお掃除、お片付け、するんです。洗濯も!」

って答えるかな。

 

 

木版画の葉書。

掛川市横須賀町から届く葉書。

 

「ちっちゃな文化展」

http://www.city.kakegawa.shizuoka.jp/kankou/event/chittyanabunkaten.html

 

以下引用。

 

テーマは「町並みと美の晴れ舞台」

 

 この「ちっちゃな文化展」の特徴の1つは、普段生活しているお宅の軒先や部屋、

土間を借りてイベントが催されるところにあります。
 このイベントは、文化展を主催する遠州横須賀倶楽部の昭和62年から長年に渡る

地道な努力と、それに賛同し応援する多くの人たちの心意気なくしては成り立ちません!
 美しい町並みとすばらしい芸術作品の数々、そして人情味あふれるここ遠州横須賀に来てみませんか?

 

上記引用。

 

この「ちっちゃな文化展」に私は過去暫く何年も通った。

毎年の秋が楽しみだった。

ここで知り合った木版画の一人が葉書の主なのです。

 


 

こうして季節毎に制作した手作りの葉書を送ってくださる。

ここの所もう何年も距離的に遠いということもあってご無沙汰してしまっている。

 

けれど、私の事を忘れないで送って下さる。

祭りの様子なども生き生きとして色合いも大好きで本当に大切に保管している。

 

しかし、一時体調不良の時もあったと知らされていて心配していたが、

「歳の割に元気で頑張っています。」

と添えられていた。

もう高齢になっていらっしゃると思うのですが、好きなことは、そして身に付いた事は

こんなにも嬉しそうな画面を生み出すのかと嬉しく思っているのです。

 

横須賀町の版画家松井さん、いつまでも素敵な版画の葉書楽しみにしています、お元気で。