何故か、この時期カーテンを洗う。
発端は、レースカーテンの一部を踏んでしまったことでフックを支える部分が少し解れてしまったことによる。
ベランダに出入りする時に風があってヒラヒラしていたのに不用意に中途半端に開け閉めしていたからだ。
暫くの間は、見て見ぬ振りを決め、時々摘まんで、ピンで抑えたりしていた。
でも、解れていることに変わりはなく、修理しなくちゃといつも気になっていた。
その部分だけがだらしなく見えるのだ。
「ああ、もう全部はずして、ついでに洗濯して繕い直そう!」と決めた。
レースカーテンは模様の無いシンプルなもので統一してある。
だから、どこのインテリアショップでもあるだろうと、一間分だけ新しいのを足しておこうかと考えた。
話が飛んでしまいますが、このシンプルなカーテンに惹かれた理由がある。
もう昔の話なのだが、他の国で知り合ったフランス人のお宅にホームステイしたことがある。
当地で、普段の生活の中で散歩していると、日曜日の昼時に庭で食事しているような、食器の音がしていた。
ちょっと振り返るとプレーンなレースのカーテンがふんわりと揺れていた。
ヨーロッパの国って一般家庭のカーテンはレース一枚で夜になっても家の中が見えることを構わない
ような使い方をしているようだ。
旅で、オランダのアムステルダムの運河を夜のクルージングした折など、その両岸の家が全て舞台のように
素敵な照明で照らされていて、カーテンで閉め切らない生活、それも夫々のインテリアまでが個性的
で、敢えて見せることに気を配っている様に見えた。
「何て素敵なんだろう・・・。」
と虜になったのを覚えていて、それ以来、照明とインテリアの重要さを認識することになった。
帰国してから、家中の蛍光灯の照明を辞めて、白熱球を使ったペンダントライトのシェード付きの
照明を探し回り、替えた経緯がある。
当時の旧家に付けたものだが、移転新築時に大事に再付け替えして使っている。
話を元に戻すと、だから、部屋のカーテンそれ自体は目立たせないで壁と一体化をするようにした。
だから、レースカーテンに自己主張はない。
家全体のレースカーテンが同一だということが役立ったのだ。
一間用2枚のカーテン×4か所、これをローテーションを変えて、道路に面していない場所、それもあまり
開閉の頻度が少ない痛みの少ない場所のものから洗って乾かし、一目につきやすい、はずしておけない
場所に移動し、吊るす。
外したものを洗濯、乾かし、次の物を外し、洗濯する。
丁度、風があった日だったので、薄いレースはすぐに乾いた。
これを繰り返えしたのだ。18日、19日の二日間の空いた時間帯を利用した。
その間には繕いが必要な箇所は修繕した。
そんなことを繰り返していたのに、何故か全く苦と思わなくて、丈の短い物も入れて、
5か所のカーテンを洗い上げてしまった。合計10枚だ。
一か所分は新品を揃えたので、一か所分の予備が増えたことになる。
その予備があることで、どこかに不備が生じたら、ローテーションを考えれば、いつでもそれを吊るし、
修理なり洗濯をすることが可能だ。
実を言えば、最初は「ローテーション替え」に気づかなかった。
しかし、途中で、
「同じなんだから、どこに使っても変わりないんだよ。」
と、気づき、次、次、と何となく汚れているカーテンをはぎ取り、洗濯、が楽しくなってしまった。
まだ、レースの2か所に目を付けている。
いずれ、はぎ取られ、洗濯の道に連れて行かれることは目に見えている。
つでに、カーテンレールの周囲の汚れも拭いて、柔らかくなったカーテンにすりすりしたい気分なのだ。
目に付いた気になることはサッサと解決するに限る、と悟った「カーテンを洗う」の顛末でした。