それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

答えは持ち帰って考えよ。

また、また、ネット検索社会に異を唱えるコラムが気になった。

 


以下引用
 「答えが見えない映画をつくりたい」。映画監督の是枝裕和さんは自著で語る。特集月刊誌では、晩年を富士市で過ごした詩人吉野弘さんの一節「生命[いのち]は/そのなかに欠如を抱き/それを他者から満たしてもらうのだ」を引用し、「空虚は可能性である」とも
 ▼「光を当てる」のではなく「声を与える」といわれる是枝作品。仕事の8割は情報収集を自負し、「自分」は最初からは必要ないという。人と接する中で触発され、それを基に伝えられる「自分」がいる
 ▼カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールに輝いた「万引き家族」は、審査員賞を受賞した「そして父になる」(2013年)の延長にある。同作は新生児取り違えを題材に、家族をつなぐのは「血」か「時間」かを問い、今作は体中に傷のある幼女を見かねて連れ帰り、自分たちの娘として育てるところから展開する
 ▼家族という私的な物語から公共性や社会性を見つめる是枝監督の栄冠が伝わった日、沼津市内の空き空間で月1回開かれる「スキマ・シネマ」に出掛けた。上映されたのは、映像制作集団「空族[くぞく]」による「バンコクナイツ」(富田克也監督)
 ▼3時間2分で描いた地方出身の娼婦と日本人男性の恋愛物語。桃源郷の甘い香りと望郷や家族への愛を装いながら、結末の答え合わせはない
 ▼直線的な価値観の提示ではない。カンヌと沼津のスクリーンをつないだのは、答えは持ち帰って考えよ、ということだった。是枝監督が対談で語った「全ての情報が並列化されるネット検索社会」の反証といったら大げさか。
上記引用。

23日、是枝裕和監督は帰国されたようですね。

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笑い話ではなく、
「私は何をしたい?」
と、ググルと教えてくれると、冗談混じりで、でも、本気で話題になったことがある。
調べれば、何にでも答えてくれる社会はもはや現実だ。

 

カンヌ映画祭、フランスだ。
フランス映画は、悪で終わるのか善で終わるのか、そのままでいいのか、結論出すのか、曖昧のまま終わることが多い。
実際、人生ってそんなもんでしょ?答えはあるの?というのがフランス映画の根底にあるように思う。

 

映像として派手なハリウッド映画と違って、フランスの「シネマ」は、
「人生を語ろうよ」と語りかけてくるような映画のように思う。
だから、答えは、生きてみないと分からないのでしょ?と。

(一時、フランス映画にはまりました。映像、音、明るさが自然なんです。そこにいるかのように。)

 

ググれば、答えは出るが、「情報の並列化」か~。
検索エンジンの上位にいることが重要とされる、検索社会ですよね。
う~ん、自分で考える、自分の生活の中で考える、それを示唆するということですね。
映画も現実も境界線がなくなって、「また明日」が続くのですね。

 

パルムドール、映画の中身が、最後曖昧という共通点でフランス人思考にマッチしたのかな。曖昧というより、「明日のことはわからない」が本音ですかね。
公開されたら観てみたいですね。