友人が仕事を辞める時。
親しく付き合っている友人が仕事を辞める決意をしたと伝えられた。
1月、今月末をもっての区切りとなるということでした。
これまでも、そんなことを考え始めていると聞いてはいた。
そんな時期がとうとうやってきたということなのだろう。
営業職だったので、人と会うことを刺激に思って、楽しんでやってきたのが、
年齢を重ねるにつれて負担の方に変わってきていたということだった。
そんな話を聞きながら、最近私の周りに起こった「人の死」についても考えていた。
従弟や甥が突然の死を迎えたりしている。
死の前日まで仕事をして、次の日には亡くなったというような事例だ。
仕事は人の生きる目的になるし、仕事を続けられることに感謝をすることもあるだろう。
しかし、一方で仕事だけで、他の楽しみを後回しにして人生を終わっていいのだろうかと考えたりすると思う。
その辺のことは個人個人の考えだから思う通りにすることになるのだろう。
経済的に成り立つか、或いは定年という制度によって強制終了するならば、時期ははっきりする。
しかし、自営業をやってきた人にとっては、辞める時期を決めるのは難しいのだろうと推測する。
そんな中で、彼女は会社の決算期を区切りに辞める決心をしたということだった。
自分に向かって、
「本当はどうしたい?」
と、よく聞いての決心だったと。
私は、
「今までよくやってきたね!よくやった、よくやった!」
と、褒め称えた。
本当にそう思った。
仕事に向かう時のために、お洒落にも気を遣うその姿勢は私にも影響して、お洒落の話をするのも
楽しかった。
子育ての時期には、子供を通して社会と繋がるので、それなりの身なりを整える必要もあった。
仕事もそうだ。
しかし、仕事を辞めてプライベートな時間の方が多くなると、お洒落も適度を保てばよくなる。
そんな中でも彼女と話す時は、年齢を重ねても「綺麗」を保つ場を提供してもらえたり、実際に行ったりする機会を得ることができた。
だから、これからはプライベートな時間重視の二人になるだろうが、まだまだ、お洒落を放棄するするつもりはない。
これからも、お互いの年齢に合ったお洒落情報をぶつけ合いたいと思っているし、できると思っている。
もし、それができなくなった時は、お互いに
「どうしたの~?」
と、言い合える関係でいたい。
話は変わってしまうが、先輩ですごくお洒落な人がいて、お買い物もよくし、情報を集め、素敵な
スタイルで街散歩を楽しむ人がいた。
頭の先から足の先まで綺麗に、(高価だった?)整えられていた。
その人が言っていたことを思い出した。
「お洒落ができる時期にも限りがあるのよ。どんなに素敵で高価な洋服を着てもね、身体が曲がったり、姿勢が保てなくなれば、そんなもの着てても美しくないでしょ?
だから、どんどんお洒落を楽しんだほうがいいのよ!」
と、(その時点で、つい先ほど購入してきたという)繊細な時計や、毛皮の小物などをしなやかに披露してくれたりした。
その人とそんな時間を持つのは楽しかった。
彼女の物であっても、それに触れ、一つの情報となるのが楽しかった。
右肩あがりの時期を過ごしてきた彼女たちの世代の方は本当にお洒落な方が多くて、知り合えたことで学ぶことが多かった。
話を戻すと、今月を以て仕事を辞める彼女は自身の内なる声に素直に従って決めたことを私も賛成した。
子育てしながらしてきた仕事に出会えたことも感謝している彼女。
これからは、お互いに今までよりももう少し会える時間も調整できて、
「しゃべり倒す」時間が持てるようになるかも?と楽しみにもなっている。o(^o^)o
お仕事、お疲れ様でした!