新年会はいいが・・・。(#2)
「新年会はいいが・・・。(#1)」の続きです。
泊まり組は2日の朝から普段の暮らしぶり満載に驚きで一杯になった。
まあ、彼等には飼い猫がいて、預かり場所がなく、猫自体も車移動が苦手なので、自宅で
留守番をさせているということで、母親だけ新幹線で元旦の夜帰宅した。
孫二人と父親である息子3人が泊まることになった。
朝ゆっくりと起きてきたのはお正月ということでいい。
しかし、起きっぱなし・・・。
寝具はグチャグチャ、部屋のサッシ戸を開けて換気をすることさえ無し。
部屋にはもう、朝陽が差し込んでいた。
自分の寝具を少しでも整えておくという習慣は無いのだと判断。
「あ~あ、息子家族とは言えなんてこった~!」
と、茫然。
帰宅組の息子達は泊まった場合、布団を畳んで、使ったシーツは洗いに出すように片付ける。
この家族のみ、そういう習慣がないのだ。
姑根性丸出しのようで気分はよくないが、自宅以外で泊まったら、せめて畳むくらいの配慮はほしい。
普段は全て母親が担っているのだろう。
母親は礼儀を大切にするきちんと育った女性なのだ。
兎に角小学生と思春期真っ只中の中学生の女子の孫たちには、自宅以外で泊まった場合の
後片付けは知らないのだと判断した。
だから、その日は彼等の使ったシーツ等の洗濯、布団干しの作業で大忙しの思いをした。
その後は初詣に行くという予定が入っているにも拘わらずだ・・・・。
話はちょっとそれるが、
以前、ずっと昔、友人の彼氏が突然、まだ結婚前で実家住まいだった我が家に泊まったことがある。
何故そんな事になったか?は詳細は忘れたが、多分まだ結婚を認めてもらえなかった二人だったので、私にサポートを求めてきたのだと思う。
その際、彼氏は泊まったことのお礼も無く、自分の部屋同然の起きたままの寝具をそのままにして
帰っていったのが強烈な印象として残ってしまった。
彼は音楽家で今は演奏会を主催したり、生徒に教えたりしている人物だ。
だから、それ以後何度も彼には会っているし、普通にお付き合いは続いているが、私の中では
「やりっぱなしの人」
としての印象が、その日以後今日まで何十年も消えていない。(うわ~、しつこい~!)
だから、泊まるという時の一応の作法は家族で考えておいた方がいいのだ。
せめて、そっと部屋の隅に畳んでおくという。
それだけで、その人物は良い意味で印象に残る筈だ。
旅先で、友人と同部屋になった時も感じることがある。
例え、ホテルのスタッフの仕事だとは言え、起きたままのグチャグチャの様子は頂けない。
だから、ベッドメイキングとまでいかなくても布団は整え、浴衣なりも簡単に畳んでおくようにしている。
そこは普段の生活が出るものだと思っている。
片付けてくれる人にも気持ちよく仕事をして頂きたいのだ。
自分がその立場だったらと。
話を元に戻します。
その後、彼らが出かけるまでが大変。
孫娘は、友人と約束があると、洗面所で髪の毛のセット。
何と2時間くらいアイロンを当ててみたり、前髪を切ったりと、私から見たらどこが違うのか
分からないセットを続けていた。
普段の登校の時はどうしているのかと問うと、長い髪は結んでいるという。
でしょうね!
思春期だから仕方ない、一生続くわけでもないだろうから、仕方ないとは言え、今までは家族と一緒に
出かけていたのに、単独行動(といっても友人とは一緒)になるのは親離れの証拠。
よく言えば順調な成長とも言える。
しかし、やはり周囲の食事時間も無視するような行動には、いささか問題があった。
特に目立つのは、親の心配の一言に、
「心配してなんて頼んでいない!」
もっとひどい場合は、
「産んでくれなんて頼んでいない!」
に、行き着くだろう。
親は一番いらいらする年代だ。
突き放しながらも、心配し、時には行動を促す、父親である息子に同情すらしてしまう。
でもね、私も十分そんな気持ちは経験済なのです。
世代を超えて、思春期の孫娘を目の当たりにして、私は言いたい。
真っ直ぐな気持ちで子供を育てていれば、回り道しても、子供はいつか親の気持ちがわかる時期が来るものだと。
何故なら、こうして新年会に集まってくる息子達とだって、意思の疎通が空回りした時期があった。
思春期、反抗期は私自身が育てられた時期だった。
けれど、時を経て、そんな子が一番優しいものだったりするんですよね。
エネルギーの発生時にはどんなに抑えても、発生し続けるものなのだ。
周りは振り回されるけれど、そのエネルギーの使い方、方向に手を貸すくらいが親の役割かもしれない。
堪えて、頑張れ!息子と、そのパートナー!
彼等は赤ちゃん時代も、今も変わらず、新年の時期を台風の様に我が家を過ぎ去っていく。