人は見ていた。
ご近所さんに「小鳥用」のみかんを頂いた。
「小鳥用」とは、見た目が悪くて商品として扱われないみかんのことだ。
実際に食べて食べられないことは無いのにだ。
だから、
「お宅では木の枝にみかんを輪切りにしてよく枝に刺してるけど、小鳥用でしょ?
よかったら売り物にならないというみかんを貰ってきたんだけど、小鳥用に使ってくれないかな?」
と、売り物の場合の2倍くらいの数がビニール袋に入ったみかんを頂いた。
そういうご本人も、
「中身はジューシーで食べて食べられなくないんだけどね、生産者さんの元にはそんなみかんが
ゴロゴロしてて始末に困ってるみたい。あと、ジュースにするとかね。」
と、言う。
見た目だけで売れない、商品にならないみかん・・・、勿体ないことだ。
しかし、人手が無ければジュースにしている暇もない。
だから、来た人来た人に手渡しているようなのだ。
結局、小鳥たちのために頂いてきた。
相手の方も手元のみかんがはけてほっとした様子だった。
小鳥にだって、人間にだって、生物はどんどん食べてもらわなくては、そのまま腐らせてしまい
もっと勿体ない。
早速、3個程を輪切りにして木の枝に刺しておいた。
小鳥さん達は寄ってきて啄んでいるようだ。
この一連の出来事で思ったこと、それは、
「人は見ているものだな~。」
と、いうこと。
何事においても私は常に思っていた。
「人は見ているようで見ていない。しかし、見てないようで見ている。」と。
今まで、ちょっと傷んできたみかんは小鳥さんに上げようと切って木に刺していたので
それを、見ていたんだなと改めて思ったのだ。
小鳥用のみかんに限らず、それぞれのお宅の様子は私の目にも、勿論入るわけで、
お互い様だけど、やっぱり「人の目」はあるんだと改めて意識することになった。