それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

ご近所ワンコちゃんたちの訃報。

 

ワンコもニャンコもみんな元気だった頃はお散歩中によく会っておしゃべりしていた。

 

ご近所仲間たちが久しぶりに会うと亡くなっていると聞く現実がある。

 

親子飼いだったジャックラッセルテリアの二匹。

飼い主さんが引っ張られるようにいつも元気に走って散歩していた。わんわん

子供の方が先に亡くなり、それでもいつものように散歩していた。

その親の方も亡くなったと聞いた。

 

 

👆「トマト」と「あんこ」という親子の在りし日の写真。

 

 

飼い主さんの寂しさはいかばかりかと心配していた。ショボーン

その後、保護犬を受け入れたと、またお散歩姿をみるようになった。

 

しかし、多頭飼い崩壊先の保護犬が家庭の犬として慣れることの難しさがあることを聞く。

人に慣れないためお散歩は人のいない早朝、家の中でも餌の時だけ何とか食べて、その後は

家族と離れた場所に引っ込んでしまうそうだ。

「あんた誰?」

という状態が続いているという。

 

でも、飼い主さんは言う。

「でもね、家の中にあったかい動物がいるだけで違うからそれだけでもいいと思ってるんだよ。」

 

そんな話を聞くと、保護犬のお世話の難しさも納得だけれど、その保護された犬の過去を

想像して可哀そうだったと、胸が詰まる思いがする。悲しい

 

人間と暮らして、愛情をいっぱい貰って育つのと違って、生きていくためにどれだけ

苦労があっただろうかと思うと、今の飼い主さんがあるがままの気持ちを受け入れて

お世話している気持ちが痛いように理解できる。

 

一方で、よく家の前まで来て、ゆっくり歩いていた日本犬の雑種だった「ももちゃん」。しっぽフリフリ

何度も手術した痛々しい姿のこともあったが、とうとう最近は家の前を歩く姿も見られなくなった。

 

そして、「ランちゃん」という柴犬。

知った時は既に高齢だったけど、今はもう姿を見ることは無い。

 

人間よりも5~6倍の速さで歳をとるニャンやワンコの生涯は短い。

それを承知で、最期までお世話をするという覚悟で飼う。

 

それでも、やっぱりその存在感は大きい。

私たちにどれだけ癒しを与えてくれる存在なのか、失ってからはもっとそれを感じるものなのだ。

 

彼らの訃報は、明日は我が身のことと覚悟はしているが、それでも一緒に暮らす猫の一日でも長生き

してくれることを願って、毎日接している。真顔