投書したり電話を掛けたりしかできなかった世にはもう金輪際戻らない。
かのNYの試験の結果も出ました。
不合格を世間は静かに、しかし、しかと受け止めている。
妻の就職?はボランティア、解説文もぼろぼろ。
解説を英訳したとされるMET所属の日本美術のキュレーター(学芸員)
の岐阜での新聞記事までも出ている。
「エトセトラジャパン」様引用失礼します。
眞子さんのメトロポリタン美術館仕掛け人C氏の謎 岐阜県民も眉をひそめたある出来事 - (etcetera-japan.com)
そんな中やはり力強い、記事を読めました。
「mikie.club」様記事引用失礼します。
以下引用
この10年で日本社会のトップと平民の間の関係が大きく変わった。
かつて皇室の情報とは上から下に下されるものであって、平民はありがたく写真を拝見し記事を読ませていただくものだった。
それが、、、ネットとSNS、発信ツールのせいで、情報をありがたく見せていただくだけではなくなり、感想を言い、意見を言い、不満を表明し批判ができるようになった。
皇室の歴史1000年以来かつてありえなかった事態が起こっているのである。
民はモノを言う道具を手に入れ好きに意見を述べる権利を得た。非可逆的な進化である。SNSの発信チャンスを捨てて、新聞に文書を投書したり電話を掛けたりしかできなかった世にはもう金輪際戻らない。
世界中のどの国へでも瞬時に同時配信し、画像音声などのソースも同時に発信できるようになった。同じ意見を持つ民同士が意見を交換できるようになったのである。皇室歴史史上かつてなかったレベルで民の意見が発信されている。
便所の落書きほどの意見でも怒涛のようなボリュームは、民の上に立つ偽政者からも無視できなくなったのだ。
偽政者のほうが民の様子を窺うようになったのだ。これは大変な変化だといっていい。ただ、民の様子を伺ってはいるが行いを改めているわけではないようだ。
つい20年前のように今まで通りのやりたい放題をやって、今は民から批判が巻き起こるたびに「なんで?なんで?昔は好きにできたのに」と頭をかしげているのがおかしい。
民はよらしめて、知らしむべからず。
理由や情報は知らせる必要はない、民は従わせればよいのだ。と1000年以上民に情報を与えなかった為政者だのだが、それはネットとSNSのせいで崩れかけているのだ。
上記引用
最近の海外事情に詳しい、かつて海外滞在の経験の長い方、英語翻訳力の高く
検索力のある方々などが記事をあげて下さっている。
スクリーンショットしてある写真があって信頼できる記事である。
海外記事まで原文で読まない私などには有難い。
引用記事には、
「世界中のどの国へでも瞬時に同時配信し、画像音声などのソースも同時に発信できるようになった。」
と書かれている。
本当に、隣家の出来事かのようだ、と言うより隣家の出来事の方が容易く知り得ないのに、
”発信された”内容は地球上に同時配信だ。
だから、私自身の手だけでは知り得ないことを知るチャンスを頂いている。
「便所の落書きほどの意見でも怒涛のようなボリューム」
になっていくのが理想だと思う。
皇統の未来についてはブログ主さんに同感なのです。
投書したり電話を掛けたりしかできなかった世にはもう金輪際戻らない。