お彼岸墓参考。
お彼岸のお墓参りを忘れていた。🙇
それでも、連休の間には何とか済ますことができた。
私の実家と義実家両方の墓参りをしなければと急いだ。
まあ、勝手知ったる両家のお墓なので私一人で臨んだ。
夫は予定が決まっていたので同行は叶わなかった。
どちらも、一応の?花は手向けられていた。
「誰が活けてくれたんだろう?」
と、思いつつお墓全体を洗い、掃除し、持参した花を活けた。
「誰が?」
と、思ったところで考えさせられた。
花の活け方に活けた人の”やり方”が出るものだと。
私にも花器の大きさや花の選び方、香花を添えるなど活け方はあるが、
こうしてお墓を訪れた人に、
「この墓参者のお墓に対する思いはこういうものなのか。」
と、図らずも表現してしまうものなのだなと思った。
(奥歯にものが挟まった言い方になるけれど、これ以上は控えます。)
その人は墓参してくれたのだから、
「ありがとうございます。」
でいいのだ。
と、いうことで手向けられているお花に注視してみた。
花屋さん、スーパーなどで束にしている物をそのまま挿しているとみられる花、
花立ての大きさなど無視して枝がむき出しで放り込まれている様子の花、等々あり、どう見てもお墓そのものに合うようにという思いが伝わらないお墓もあった。
墓参全体としてのことだからそれでいいのだろう。
そんな中に素敵な雰囲気を醸し出しているお墓もあった。
縦型のお墓が多い中、今流行りの平型?という形の比較的新しい墓石に、花の色は白一色で緑の葉っぱに囲まれて活けられていた。
束になった花ではなくて、亡くなった方と墓参者の関係が偲ばれるような”亡くなられた方が好まれていた花なのか、墓参者のセンスなのか”
と、ひと際目を惹かれたお花の活け方だった。
(写真はお借りしました。)
何かお墓鑑賞?のようになってしまったかもしれないけれど、よく見るとただ活ければいいんじゃないな~って思ってしまうのだった。
私は花コーナーの種類と量が多い農協で用意することが多い。
だから、鋏も用意されている支払いの済んだ時のテーブルで、選んだ束を全部ばらして二本の花立てにバランスよく収まる形を作って、
枝の丈を決めて切り、水中に入る葉っぱは払い、全体を締めてくれる香花を配置して全体を予め作って、お墓の前ではそのまま活ける形にし、
そのテーブルの後始末をして、お墓に行く前の準備をさせてもらう。
お花用の新聞紙も用意されているので、混み合っていなければ利用させて頂いてます。😉
結婚前に少し生け花を習ったことがあって、花に対する基本だけば習得した。
それだけでも、お花を頂いたり、活ける機会がある時は長持ちさせたい思いを生かすことになっていると自負している。
逆に、お花に対する思い遣りのない活け方に出会うとお花に対して可哀想と言う思いが
募る。
そんなことが、お彼岸での思いになった。