節分、湯たんぽ、2月に思う。
最近の寒さの中で子供の頃の事を思い出しました。
節分も過ぎましたが、今でも懐かしく思い出すことがあります。
近所の家が毎年子供達の為に行ってくれていた行事のことです。
子供の頃、漁業の町に住んでいた頃の事です。
当然船主さんという家があって、毎年「豆まき」と称して子供達を
集めて、住居の一間を解放してお菓子や豆を撒いてくれたのです。
近所の子供達はみんな年に一度の豆撒きはその家でするものと思い込んでいました。
夕方になると、町内の子供はみんな集まってました。
今なら、”お菓子セット”として一袋ずつを手渡せばいいのかもしれない。
けれど、その頃は敢えて畳の上に豆やお菓子を撒いて、”取り合う”楽しさを味わわせてくれたんだと思います。
どんなお菓子だったか思い出せないけれど、”ワーワー”言って取り合う楽しさだけは覚えています。
多分包まれていたお菓子だったのだと思いますが、子供の頃は衛生上云々なんて考えはなかったから、その過程の楽しさだけは、節分の頃の思い出としてあります。
そんな思い出があるだけでも、子供時代は恵まれていたと思います。
子供が沢山いて、とに角毎日が楽しかった。
湯たんぽは火傷、低温火傷の思い出です。
最近湯たんぽを使う人もいるようですが、当時は就寝中の暖は湯たんぽ
が主流だったと思います。
当然、母が毎晩用意してお布団に入れてくれてあった。
包み方が不足していたのか、私が子供で湯たんぽを外す知恵がなかったのか一旦水ぶくれになって、その後は手当に毎日外科に通った記憶がある。
なぜか、祖父に自転車で連れられて行っていた。
火傷の治り難さはその頃実感してたので、今では火傷だけはしたくないと思っている。😰
それなのに湯たんぽが懐かしいのは何故?
とに角、今のようにエアコンがある時代ではなかったが、毎晩のその温かさは大事に育ててもらった記憶になっているのだ。
火傷はしたけれど、毎日のその祖父の付き添いに、大事にしてもらっていた気持ちは未だに忘れないことなのだ。
町内のご近所さんとの付き合いもお互いに開放的で鍵をしてある家などなく、いつでも出入り自由だった。
子供達は町内全体の子供だったように育てて貰っていたのだ。
いい時代だった。
夏の祭りの時は盆踊りの練習などは町内の若者が活躍して子供達に教え、面倒を見てくれた。
だから、年中楽しかった。
虐めなどなかったし、子供と大人がいつも交じり合っていた。
いつも大勢の大人の目があったのだろう。
大人になって、友人の育ち方や、各家の育ち方を知る時、どれがいいという確信はないけれど、核家族で親が絶対という環境ではなく、いろんな家庭があるという環境の中で、いろんな人に見守られ、揉まれ、育ったことは感謝すべきことだった
と思う。(人''▽`)ありがとう☆
子供の頃から家族と言う社会、町内と言う社会で種々雑多なものを見ていたのだろう。
(母方の兄弟姉妹も多く、従兄弟、親戚も多く本当に沢山の人と触れていた。)
だから、船主さん主催の「豆撒き」も自分の家の行事のように楽しみにしていた。😃
寒い季節、2月に今年はいつもより寒さの厳しさを感じている。
寒さを感じれば感ずる程、当時の温かさをより強く思い出されるのだ。
周りの大人、近所のおじさん、おばさん、お姉さん、お兄さん、三世帯家族に可愛がってもらったことは、今十分に自己肯定感を養えたことだと感謝している。
「あなたは大事な子なんだよ。」
と、湯たんぽの温かさが包んでくれていた。