それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

男子の母の雛祭り。

お恥ずかしいことですが、3日が雛まつりと気付かなかった私です。

男子ばかりの家には雛祭りは縁がなかったからです。

 

親戚の女子がいる家では、2月の内から雛人形を飾って、3月3日が過ぎると

早々に片付けていましたが、そんな様子も家とは無関係で見てました。

 

 

端午の節句は子供が小さい内は飾ってましたが、いつの間にやらそれも子供達が思春期になる頃には飾らないようになって、とうとう、3年程前には、兜の箱のみ残して、人形組合で催している”人形供養祭”の場をお借りして供養させて頂きました。😢

 

そんな感じのひな祭りと端午の節句の思い出ですが、一方で生まれ育った家での

雛祭りの思い出は楽しかったと覚えています。

生家の雛まつりは歴史が飾られていたからです。

(由緒ある家ではなく、祖父は長男ではなかったので分家?という、祖父から始まった家)

7段飾りなどと言わず、何段あったか分からない位広く高く赤い毛氈に沢山の人形

が飾られていました。

 

「あれは何だったんだろう?」

と、今考えると、多分、その家に住む人、其々が誕生を祝って揃えてもらった人形が

全部飾られていたんではないかと推測する。

 

祖父母、両親、孫のふたり(私と姉)と父の弟も同居の家でしたが、その人達の

お人形が全て飾られていたんだと思う。

と、いう事は男の子の端午の節句の人形も一緒だったのか?

よく解らず・・・。

 

祖父のものだったと思うが単体で、ショウキ様という髭が付いた怖い顔をしたものや、金太郎という、強い子供らしい人形などが最近のセットのような”内裏雛と家来たち”の周りに置かれていた。

 

私はそれが当たり前だと思っていたので、本当に賑やかな人形が何日間か家の一間を占領していた時期は嬉しかった。

菱餅も家で搗いて、どんどん堅くなっていく様子も、

「いつきな粉餅で食べられるのかな?」

と、待つのも楽しみだった。

 

そして、内裏雛の周りに飾られる”お道具”で小さなおままごとの様に遊ぶのも楽しみのひとつだった。

 

 

本当に祖母の代の暮らしは何でも家庭で作っていて手間暇かけた暮らしぶりだったのだ。

 

懐かしいし、そんな暮らしをさせて貰えたことに、今では感謝している。

 

それなのに、それから核家族化した私の伝統行事に対する意識は薄らいでしまったな~と反省する。

 

次の世代に、家にある人形を受け継いでいくという意識は無く、一種の断捨離の一部になっている。

本当の豊かさって何だろうと思う。