”ちょっと休憩「幸運」”とデジタル機器のこと。
すご~~く身につまされるお話でした。
リブログさせて頂きました。
デジタルネイティブの世代と違って筆者さんの彼女も私も、物凄いスピードで変化してきたデジタル機器を様々使い、いつの間にか廃れ、横に追いやられてきたグッズに思いやる世代だと思います。
カセットテープ再生付きラジオ、ラジカセ?(もう名前も思い出さない)。
テープとCDが再生できるCDラジカセ?。
移動しながら音楽を聴けるウォークマン。
今や、ウォ━クマンの中身はUSBに収まりこじんまりと移動できる。
そして、それより進んで、聴きたい曲だけスマホで聴ける。
あっ、その前に自宅で印刷できるタイプ型の‥‥思い出せない。
そうだ、ワープロだった。
そして、パソコンに付随したMD・・・、etc。
みんなまだその辺に収納されている。
今MDなんかPCに挿入さえされない。
一体何だったのだ?
単独のスキャナーもプリンターの陰で放置されている。
で、話を戻すと、VHSのテープに収録されていたものがあるにも拘わらず、映像を再生するにはCDプレイヤーとなっている。
ビデオデッキはいつ放棄したのかさえ思い出せない。
(多分、引っ越しのドタバタの時かも。もっと以前のタイプライターもあって、大事に残しておくつもりだったのがやっぱり引っ越し以来無い。)
それ位次々にデジタル機器の波に流されてしまったのだ。
我が家のVHSに録画されていた好きな映画も今は再生不可能なのだ。
子供達のスポーツ大会などの記録も行方知れずの上、見つかっても再生不可。
それでも、平気でCDプレイヤーに流れてしまっていた。
だから、ジャスミンさんの気持ちがよ~~く解る。
でも、今回はビデオデッキが幸運にもゲットできたということで嬉しいお話でした。
そこで、ジャスミンさんが、
「もし、あの時出掛けなかったら、お茶にお呼ばれなかったら云々・・・。」
とその日のことを振り返っておられました。
そうですよね。
でも、ジャスミンさんの存在も、私の存在も、よ~く考えると今その場所で生きていることさえ、其々の先祖の方々の出会いの上にあるんだと思い及んでしまいます。
何か、今の地点からぐうっと引いて俯瞰して自分の存在を意識すると、そんな風に思えるのですが・・・。
人生の節目の出来事や、仕事や、そこでの出逢いや、旅行先での人との出会いなど、
場所が違えば、日付が違えば、時間が違えば出会わなかったかもしれない人ばかりです。
でも、そんな中で出会えた人との関係を広げて行って、いろんな経験をさせてもらえたことは
本当に”たっくさん”ありました。
ジャスミンさんのような幸運は、そうですね、神様の大きな手でチェスの駒の一つを動かすように決められていたのかもしれません。
だから、幸運の神様の目に届くような行動をしていなければ!って思います。
やっぱり、普段の行動は誰が見ていなくても神様だけには把握されているんでしょう。
そんな気がしました。
私も今一度VHSの、録画されたテープとデッキのこと惜しくて、考えています。
そして、気になることがもう一つ。
録画というと今はハードディスク録画かブルーレイ録画だと思うが、
「ビデオに撮った」
と、言うことで会話は通ってしまう。