それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

夫と比較してしまう人。

ジムにきちきちと通う男性。

福利厚生施設の当ジムの社員としての立場。

 

社員以外で会員になっている人とは違い、当然会費は無し。

福利厚生施設を使える当然の人なのだ。

 

2015年に当会社の社長であり、今は社主と言う立場でご自分が設立したジムに通う方と同じで、母体の会社の関係者となります。

 

既に会社自体は定年退職されているが、関連子会社で嘱託の(ような)身分。

 

よく話をするのだけれど、少しずつ解ってくると、とに角生活自体をご自分で管理されている。

 

習慣として早起きで、午前4時には日課のウォーキングに出掛ける。

通年、寒い時期も猛暑の夏も、多少の雨でも変わらない。

 

帰宅後シャワーの後9時頃まで仮眠を取って体調管理。

午前中が空く日は、車の運転をしない奥様の買い物に同行して荷物を運ぶお手伝い。

 

毎月1日はお寺の行事のお手伝い。

盆、暮れなどは勿論お手伝い。

 

バスケットボールで高校総体出場経験を大切にしていて、その後大学でも続けたバスケのOB会の世話役を続けていて、年一回上京することを楽しみにしている。

 

画像は2019年現在のものをお借りしました。

 

勿論高校時代のバスケ仲間との関係も続いていて年一回の会合、会食のこともよく話してくれる。

 

忘れてならないのが、大学のOBとして後輩たちの活動資金の援助も続けている。

中々できない寄付だ。

「自分はなんとか生活が成り立っているから、若い人達を応援するんだよ。」と。

 

人との関係、個人的には兄弟、従兄弟、甥、姪も大事にしていて上京した折には必ず訪ねると楽しそうに話す。

 

そして、一番肝心なのが、日本の家庭には珍しく、家計管理をご自分がしている。

 

主婦同士の話でも、余程ご主人が管理を心配して、家計費/月として渡されるという主婦もたまにはいるが、それでも、大概はまだ、奥様が家計管理している家庭が多いのではないかと思っている。

 

そんな中でのご主人の家計管理宣言だった。

 

そして、生活習慣の中で徹底しているのが健康管理。

普通はあまり実施しない脳の検査まで行っている。

 

会社勤めを辞めると、大体が住所地の行政で実施する健康診断の範囲で管理するのが普通で、それさえ面倒臭いと受けない人も多いのだが、彼は受け身でなく積極的に健康管理している。

 

検診に行く前や行ってくると、その結果などを話してくれるので、行政での検査で済ましている私からすると驚異の人物なのだ。

 

私も、どちらかと言えば、物事管理しておく方なので、話は合うタイプの人なのだ。

 

その男性は夫と同年代、もしかすると同年齢だ。

古稀は過ぎて今尚、ジムで身体を鍛えている。

 

そんな男性、あるいは、もっと高齢、そして一挙に若い世代の男性たちを目の当たりにしていると、我が家の夫は残念な人なのだと比較してしまう。

 

 

 

そして・・・・。

一挙に話はトーンダウンしてしまうが、夫は全てが逆なのだ。

 

朝は起きれない、それが高じて身体能力がガタ落ちした。

身体中の筋肉が落ちてしまったのだ。

そのことを心配しても聞く耳持たず。

 

これと言って運動の計画がない毎日で、毎日の目的がない。

手先や身体を使う趣味や囲碁、将棋などという頭脳的な趣味も無しで”チコちゃんに叱られる”ようなボーッと生きている毎日なのだ。

 

私側から見ると、

「なんて勿体ない時間の使い方をするんだろう?」

と、疑問に思うが、定年退職前に、その後どう生きるかの準備を怠った人の典型だろう。

 

仕事の後の時間を人との飲み会に費やしていた(本人は異業種交流などと言っていた)

時間が殆どだったので、そんな時間が無くなって気づいてみれば、何も手元に残らなかった。

 

そういう時間に私は自分の時間の過ごし方を、夫抜きで、自分流に確立してあったので、生活習慣の中に運動も、人とのお付き合いも今なお無くなることもなく、自分の趣味と主婦業と、適度に友人と会う時間を調整して今の生活がある。

 

だから、忙しい私と、何もすることが無い夫は一つ屋根の下で対照的な生活スタイルをしている。

 

そして極めつけが金銭感覚。

 

何事も整理整頓、次の行動に支障なしの準備をする私と整理整頓もなく、情報に関しては

”情弱”の部類のスマホもPCも不得意な夫は、その点でも”チコちゃんに叱られる”タイプで残念だ。

 

収入の内必ず支出するものを先取りする、或いは残して遣う、という原則に沿えない金銭感覚。

そういう遣い方では先行き行き詰まると分かっていても丼勘定を続けている。

 

勿論そんな人に家計は任せられないので、管理は、彼のお小遣い部分を外して、私が管理している。

 

だから、彼は自分の使用可の範囲でいつもアップアップしているが気にならないようだ。

 

それは、定年まできちんとボーナスを貰えた生活をしてきたからだ。

それで補填ということを繰り返してきたのだ。

 

私も、”男たる者お金にチマチマしない”と考えていたので家計費だけは確保して家庭を支えてきた。

子供に手がかからなくかってからは正社員として私も働いた時期もあった。

 

有り余る経済状態ではなかったけれど、貧困に悩むという家計でもなかったから、夫に自由な金銭感覚を許していたのだ。

 

その付けが回ってきているのが現在の夫。

 

私は、そんな夫の状態を、ある程度把握しながらも手を(お金)を貸すことはしない。

 

夫の実家では可愛い可愛い長男として甘やかされて、金銭的にも”転ばぬ先の杖”状態で、特に祖母からの援助で、学生時代も暮らしていた形跡のある彼。

 

適度な金銭感覚は育たなかったのだろう。

 

「おばあ様、今彼は自分の苦労さえわからない金銭感覚の中で暮らしています、老後の時を」

と、教えてあげたい。

 

では、私はさぞ苦労をしているだろうと想像されると思うが、彼は全体の中の一部であって、そんな男性ということは”疾うの昔(とうのむかし)”から解っていたので、家計及び私個人を守る準備はしてある。

 

要するに、全体に責任を持とうという意識のない夫は自分の見える範囲の中で良くも悪しくも自由に生きているのだ。

 

 

と、いうことで前者と比較すると何とも情けない姿が浮き上がってくる。

しかし、今まで生きてくると、お互いにそれを矯正しようなんて思わないのだ。

 

残りの人生良くするも悪くするも、日々の其々の意識と行動によるということ。

さて、どうなることやら・・・・。

 

 

それにしても、やっぱり、生活習慣の良い人は生活全般が整っていて気持ちのいいものです。