それって当たり前?

日々感じたことを徒然に。

一人の方のたった一言。

ブログのコメント投稿させて頂いた時のこと。

「愛犬の介護」の内容でした。

 

私のブログも読んで下さっていて、私もよく読ませて頂いている。

そのワンちゃんの為に睡眠時間もままならないことがあっても優しく介護されている様子に、

激励と感謝の気持ちが自然に起こってきてコメントせずにいられなくなったのです。

 

今、スマホを開くと、トップに表示されるのが動物ビデオなのです。

私の場合、動物のことが気になるからよく見ているということで結果として

「あなたが興味のあるサイトです。」

という意味で表示されるのでしょう。

 

そんなビデオの中には、飼い主に捨てられた、とか、苛酷な環境の中で生きていた、とか

事故で怪我をしていた、など”その後”が気になるようなものが溢れている。

その全てが実際に起きたことかは別にして、真実の物も多い事だと思う。

 

だから、この世に生きている動物が、特に小動物がみんな優しい飼い主に飼われて幸せに

暮らしているわけではないだろう。

 

だから、”運よく”優しい飼い主さんと出逢えたペットが介護されるまでお世話してもらうえるという内容に出会った時は、嬉しくて嬉しくて、よそ様のペットなのに”ありがとう!”という気持ちになってしまいます。

 

 

世界わんわんドキュ☆「ハンガリー・ドナウ河畔」(1)

の録画より。

ハンガリーの動物事情についての投稿。

2018/11/15

 

 

それで、コメントしてしまいました。

 

そしたら、そのコメントに返信を頂いたのです。

 

思いがけず(失礼)、とても素敵な言葉が並んでいたのです。

 

ブログは毎日更新と決めて投稿しているけれど、地味に定点観測になるから続けよう、くらいな気持ちで取り敢えず頑張っている。

でも、私の生活に何か変化でも起こっているかというとそうでもない。

「このままでいいのかな?ブログから解放されたら時間的にも楽かな?」

なんて思うこともある。

 

でも、その返信で私のブログに感じて下さっている気持ちを知ることができたのです。

そのままの私を受け止めて読んで下さっている。

 

その時、すごく現金なんですが、

「あっ、このまま続けてみよう。」

と、思えたのです。

すごく嬉しかったのです。

 

そしてこんなことを思い出したのです。

「何千何万の人からちやほやされることと、一人の人に深く愛されることと、どちらを選ぶか。」

と言っていた人の言葉を。

 
こんな表現は傲慢かもしれませんが、
「世界中の誰か一人にでも読んで頂けるのなら、そして応援してくれるのなら続けて行こう。」
と思いました。
 
ブログ投稿する以上、より多くの人に共感を得られるようなものを、と誰でも思うでしょう。
 
でも、今回の一人の方の言葉は、
「続けてね!」
と、励まして下さった宝物のような言葉でした。
ありがとうございました。